イッツ・オンリー・ロックン・ロール
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イッツ・オンリー・ロックン・ロール | ||
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ローリング・ストーンズ の アルバム | ||
リリース | 1974年10月18日 | |
録音 | 1973年11月13日 - 24日 1974年2月20日 - 3月3日 1974年4月12日 - 5月27日 |
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ジャンル | ロック | |
時間 | 48分26秒 | |
レーベル | Rolling Stones/Virgin | |
プロデュース | グリマー・ツインズ | |
レビュー | ||
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ローリング・ストーンズ 年表 | ||
山羊の頭のスープ (1973年) |
イッツ・オンリー・ロックン・ロール (1974年) |
メイド・イン・ザ・シェイド (1975年) |
『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』(It's Only Rock'n Roll)は、1974年にリリースされたローリング・ストーンズのアルバム。けだるいサウンドの作品であった『山羊の頭のスープ』に対して、ストーンズはよりエネルギッシュな作品を創り上げるつもりであった。アルバムはリリース時一定の評価を得たが、バンドは1978年の『女たち』リリースまで不毛な時期を脱したとは言えなかった。本作はギタリストのミック・テイラーが参加した最後のアルバムである。テイラーは元クリームのベーシスト、ジャック・ブルースと活動を行うために1974年12月にストーンズを脱退した。
本作セッションは1973年のヨーロピアン・ツアー終了後西ドイツ、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオで開始し、新曲のレコーディングとオーバーダビングは1974年の春には終了した。本作にはレイ・パーカーがパーカッションで参加しており、また後に正式メンバーとして加入するロン・ウッドがバンドと関係を深めたのもこのセッションであった。本作タイトル・トラックの「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」はウッドの自宅地下室でベーシック・トラックが録音された。当時ウッドは自らの初ソロアルバム『俺と仲間』を制作中で、キース・リチャードも同アルバムに参加している。テイラーの脱退後、ウッドが新メンバーとして加入したのは自然な成り行きであった。
『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』は、バンドがプロデューサーのジミー・ミラーと分かれた後、ミック・ジャガーとキース・リチャードの匿名である「グリマー・ツインズ」によって初めてプロデュースされた作品である。本作以降のストーンズの作品はグリマー・ツインズ、またはグリマー・ツインズと外部プロデューサーと共同で製作されている。アルバムジャケットはガイ・ピラートの手によるイラストであった。
7月に先行シングル「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」がリリースされたが、キャッチーなロックン・ロールナンバーであるにもかかわらずトップ10入りしなかったことは多数を驚かせた。「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」はテンプテーションズによる1966年のヒット曲であるが、第二弾シングルとしてアメリカでのみリリースされた。同曲はトップ20のヒットとなった。『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』は10月にリリースされると、イギリスで2位、アメリカで1位に到達しプラチナ・アルバムを獲得した。しかしながら本作がチャートに留まったのは比較的短期間であり、ストーンズは商業的にスランプに陥っていた。
アルバムプロモーションの為のビデオクリップが幾つかの曲で撮影された。「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」では水兵服で演奏するバンドのメンバーが徐々にシャボン玉で埋め尽くされる。「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」「ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ」でも撮影が行われた。
1994年に本作はヴァージン・レコードによってリマスターの上再発売された。
[編集] 曲目
- イフ・ユー・キャント・ロック・ミー - If You Can't Rock Me 3:47
- エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ - Ain't Too Proud To Beg (Norman Whitfield/ Eddie Holland) 3:31
- イッツ・オンリー・ロックン・ロール - It's Only Rock'n Roll (But I Like It) 5:07
- ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ - Till The Next Goodbye 4:37
- タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン - Time Waits For No One 6:38
- 快楽の奴隷 - Luxury 5:01
- ダンス・リトル・シスター - Dance Little Sister 4:11
- マイ・フレンド - If You Really Want To Be My Friend 6:17
- ショート・アンド・カーリーズ - Short And Curlies 2:44
- 3. 7. 9.はイアン・スチュアートがピアノで参加。
- フィンガープリント・ファイル - Fingerprint File 6:33
- 4. 5. 6. 8. 10.はニッキー・ホプキンスがピアノ、ビリー・プレストンがクラビネットで参加。
[編集] 北米ツアー
本作リリース後、「NORTH AMERICAN TOUR 1975」が行われた。ツアー告知は1975年5月1日、ニューヨークの5thアベニューにおいてトラックの荷台で「ブラウン・シュガー」を演奏する形で行われた。ツアーは1975年6月1日のルイジアナ州バトンルージュのルイジアナ州立大学公演から始まり、8月8日のニューヨーク州バッファローのリッチ・スタディアム公演で終了した。このツアーではオープニングに「庶民のファンファーレ」が流され、巨大なペニスをかたどった風船が扇風機でステージ上に膨らまされた。ツアーにはロン・ウッドが同行したが、彼はまだフェイセズのメンバーであり、ストーンズのツアーにはサポート・メンバーという形で参加していた。同ツアーでは本作から「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「フィンガープリント・ファイル」などが演奏された。またサポートを務めたビリー・プレストンの「ザッツ・ライフ」「アウタ・スペース」も演奏された。