イランの地方行政区画
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イランの行政区画(~ぎょうせいくかく)は、オスターン(استان)、シャフレスターン(شهرستان)、バフシュ(بخش)、シャフル(شهر)、デヘスターン(دهستان)、デフ(ده)から構成される。現在の行政区画の構成は1983年の行政区分法によって定められている。
行政区画は全部で5つの級に分けられる。まずオスターンが全土を30に分割する。オスターンの下にはシャフレスターンがあり、シャフレスターンはバフシュに区分される。バフシュはシャフルとデヘスターンから構成され、デヘスターンはさらにデフに区分される。行政組織もこの階層を基本として構成される。日本語での訳語はコンセンサスがなくやや混乱しているが、概ね3つのパターンに分けられる。本事典においては、もっとも多く用いられていると思われる(日本イラン協会編訳『イラン・イスラーム共和国憲法』で用いられる)日本語(1)の訳語を用いる。
ペルシア語 | オスターン | シャフレスターン | バフシュ | シャフル | デヘスターン | デフ |
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日本語(1) | 州 | 郡 | 地区 | 市 | 行政村(区) | 村 |
日本語(2) | 州 | 市 | 郡 | シャフル | 地区 | 村 |
日本語(3) | 州 | 県 | 郡 | 市 | 行政村(区) | 村 |
各級に行政執行機関があり、その長はオスターンがオスターンダール、シャフレスターンがファルマンダール、バフシュがバフシュダール、シャフルがシャフルダール、デヘスターンがデフダールである。なおデフダール以外は法令(主に憲法)により政府(内務省)が任命することになっている。ほかに各級地方評議会がある。これは法律上の規定は非常に古くからあったが、さまざまな理由から設置が見送られてきた。2004年、初めての全国統一地方評議会選挙があった。
現在のオスターン=シャフレスターン制が導入されたのは1934年の行政区分法にさかのぼる。パフラヴィー朝のレザー・シャーの改革で、これまでのエヤーレト=ヴェラーヤト(管区)制にかわり、地方官吏を内務省によって任じ中央集権の貫徹をねらうものとして導入された。このときは11オスターン、49シャフレスターンであった。その後、改廃統合分離を経て、現在の30オスターンに至っている。詳しくはイランの州を参照。
イランの行政区画の特徴は、その導入の目的から理解できるように、きわめて強い行政性にある。すなわち文化的・地理的一体性は法にうたわれるもののしばしば軽視され、行政側の意向によって決定されている。そのため、制度的には安定的とはいえず、各級地方行政区画の改廃、境界の変更は日常茶飯事である。これはオスターンでさえ例外ではなく、政府の意向に反して必ずしも行政区画が日常の生活と密接に関わりをもちアイデンティティーの一部として用いられる「地域」とは一致していない。たとえば日本語における県民性のような議論をする際に「東アーザルバーイジャーン州の人間は云々」というより、その州都「タブリーズの人間は云々」といわれる。これはイランにおける都市と後背地の関係からイランにおける地域認識は後背地をふくめその都市名称をして地域にあてるという認識があるためと考えられる。本事典における州の記述が、州都の記述ときわめて密接な関係にあるのもこの反映である。
[編集] 参考文献
- 後藤晃、鈴木均編『中東における中央権力と地域性』アジア経済研究所、1997。ISBN 4-258-04479-2
- 鈴木均「イランの生態圏と地域的構成」、pp. 17-58
- 後藤晃「イランにおける国民国家形成の問題」、pp. 121-182
- 八尾師誠「国民国家イランにおける「地方史・誌」の出版と中央・地方関係」、pp.305-350
- 日本イラン協会編『イラン・イスラーム共和国憲法』日本イラン協会、1989。