インドにおける仏教の弾圧
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インドにおける仏教の弾圧は、5世紀頃に起き、インド国内の仏教はほぼ完全に一掃された。
インドの仏教徒はインドから逃げ出すことになり、それが他のアジアの大域に仏教を広げるきっかけとなった。
インド国内に残りヒンドゥー教に改宗させられた人々は、ヒンドゥー教の階級制であるカースト外の最下層に入れられた。ヒンドゥー教は基本的に生まれながらカーストを受け継ぐため、改宗者は最下層以外に入ることはできない。カーストの最下層はスードラ(奴隷に近い意味)と呼ばれるが、その更に下層に位置付けられ不可触民(アンタッチャブル)とされることもある。
職業が制限され一般に人々が嫌がる職業にしかつくことができない。
仏教の開祖ゴータマ・シッダッタ(仏陀、釈尊)は、階級のない社会を説きカースト制に反対した。アショカ大王により仏教がインドの国教になっていたが、その後、力を奪われたカースト制の上位の勢力が権力を巻き返した結果だと思われる。
これに伴って、カースト制の最上位にあったバラモン(ブラフミン)の宗教であるバラモン教を中心にインド全域の宗教が再構成されてヒンドゥー教の元が作られた。
なお、その後のイスラム教勢力のインド侵略とインドの支配に伴って、多くの下位カーストの人々がイスラム教徒に改宗したとされる。イスラム教には階級システムは制度としてはないため、下位カーストの人々にとってはイスラム教への改宗はむしろ歓迎すべきものだったのである。
しかし1956年、インド憲法の起草者の一人で初代法務大臣を務めたアンベードカルが死の直前に、自らと同じ50万人の不可触民と共に仏教徒に改宗し、インド仏教復興の運動が起こった。現在は日本人僧の佐々井秀嶺がアンベードカルの正式な後継者と認められ、インド仏教運動を継続している。
近年、ヒンドゥー教のカーストを嫌う不可触民や下層階級の人々がヒンドゥー教から仏教に改宗する動きがあり、公式統計では仏教徒は人口の0.7%(約700万人)に達している(1億人以上との説もある)。