イヴァン6世
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イヴァン6世(1740年8月13日、サンクトペテルブルク - 1764年7月15日、在位:1740年 - 1741年)は、ロマノフ朝の第5代ロシア皇帝。 イヴァン5世 の曾孫、前代の女帝アンナの姉エカチェリーナの孫に当たる。父はブラウンシュヴァイク公アントン・ウルリッヒ、母はエカチェリーナとメクレンブルク公カール・レオポルトの娘、ブラウンシュヴァイク公妃アンナ・レオポルドヴナ。
1740年に女帝アンナが死去すると、後継者として指名された生後僅か6ヶ月のイヴァンがロシア皇帝の座に就いた。はじめはクールラント公ビロン、のちに母アンナが摂政となる。しかし翌1741年、貴族たちはイヴァンを廃位して、社交的な性格で人気の高かったピョートル1世の娘エリザヴェータを皇帝に推戴した。廃位されたイヴァンは長年監禁状態に置かれた。またビロンや母アンナも追放、監禁された。
イヴァン6世はエカチェリーナ2世の治世まで生存が確認されるが、そののち監禁されていた城で殺害されたといわれる。
イヴァン6世が即位した頃のロシア皇帝は、遺言によって後継者が指名されていた。この制度はピョートル1世の時代に制定されたものであったが、実際は完全にロシアの皇帝権力が確立されていなかった現れで、皇帝権力の肥大化を望まない貴族たちの妥協の産物と言うべき制度であった。その後、パーヴェル1世の時代に男系継承・長子継承へと改められた。
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