エイドリアン・カンポス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
F1での経歴 | |
国籍 | スペイン |
活動年数 | 1987 - 1988 |
所属チーム | ミナルディ |
出走回数 | 21 (決勝スタート18回) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1987年ブラジルGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1988年カナダGP |
エイドリアン・カンポス(Adrián Campos Suñer, 1960年6月17日 - )は、スペイン・バレンシア州アルツィーラ(Alzira)出身の元カーレースドライバーである。
目次 |
[編集] ドライバー時代
[編集] F1時代
1987年にF1のミナルディチームからデビューしたが、この年の同チームのパッケージは信頼性が極めて低く、カンポスの完走は年16戦でわずか1回にとどまり、つらいデビューとなった。チームメイトのアレッサンドロ・ナニーニも2回の完走しか果たせなかったが、内容としては、カンポスはナニーニに対して大きく遅れを取った。
翌年はこの年デビューで、同じくスペイン人ドライバーのルイス・ペレス=サラがチームメイトとなったが、カンポスは予選で完敗した上、第3戦モナコGP、第4戦メキシコGP、第5戦カナダGPと、3戦連続で予選落ちした。新人のチームメイトは3戦とも全て予選通過していたため、これには言い訳がきかず、第5戦限りで解雇となり、後任はピエルルイジ・マルティニが務めた。
カンポスはF1において全21戦にエントリーしたが、最後の3回の予選落ちにより、出走回数としては18戦を数えるにとどまり、また、デビュー戦ブラジルGPでは、フォーメーションラップのスタート時に出遅れ、他車に追い抜かれた後、スタート時に自身の16番手グリッドにそのまま付けたため、これが問題視され、3周目に黒旗が提示され、失格となっている。
[編集] F1後
F1から去ってからは、スペイン国内のツーリングカーでレースをして成功し、1994年にはスペインのツーリングカー選手権でチャンピオンとなった。
[編集] その後
ドライバーを引退してからは自身のレースチーム「カンポスレーシング」を設立し、ニッサン・オープン・フォーチュナ選手権(後に“ワールドシリーズ・バイ・ニッサン”に改称)に参戦を始めた。1998年に、このチームの最初のドライバーとなったマルク・ジェネは、同選手権においてタイトルを獲得し、翌1999年にはF1へとステップアップし、カンポスにとって古巣であるミナルディからデビューした。
その翌年1999年には、同シリーズにおいて、後のF1ワールドチャンピオンで、当時18歳のフェルナンド・アロンソをデビューさせた。アロンソも即座にチャンピオンとなり、国際F3000へとステップアップしていき、後にやはりミナルディからF1にデビューした。
その後、カンポスレーシングは同選手権が改組されたワールドシリーズ・バイ・ルノーには行かず、GP2へと移行している。