エデンの園
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エデンの園(ヘブライ語Gan Eden, גן עדן 英: Garden of Eden)は旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。楽園の代名詞になっている。パラダイスとも言う(ラテン語ではパラディースス、ギリシャ語では、パラデイソス)。地上の楽園とも言う。
『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」(2:8)にあり、アダムとイヴはそれを管理するためにそこにおかれ、そして、食用果実の木が、園の中央には命の木と善悪の知識の木が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は、四つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川(チグリス川)、ユーフラテス川)に分かれていた。
神(ヤハウェ・エロヒム=エールの複数形)はアダムとイブが禁じていた善悪の知識の木の実を食べたことから、命の木の実をも食べることをおそれ、エデンの園を追放する(失楽園)。命の木を守るため、神はエデンの東にケルビムときらめく剣の炎をおいた。
ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』では、煉獄山の山頂にエデンの楽園があり、天国に最も近い場所となっている。
なお、エデンとはヘブライ語で快楽、アッカド語で園という意味である。この過程でキリスト教徒たちはエデンの園を、パラダイス、神が存在する地上の楽園と考えたのである。しかし同じ系統であるユダヤ教徒やイスラム教徒にはその様な概念はない。
中世のキリスト教伝承では、アダムの三男セツがエデンの園に渡ったと言う伝説が生まれた。
中世の聖職者や冒険家は、エデンの園の特定を図ったが、その現在地を決定することが出来なかった。発音の近いメソポタミアのエディヌー、アラビア半島のアデンであるとする人物もいたが、あまりにも近すぎて否定するものが多かった。大航海時代に入ると、広大で未知の太平洋に存在すると言う主張も現れた。しかし世界があらかた征服しつくされた17世紀以降になると、最早楽園は現実に存在することは不可能となった。結局、エデンの園はキリスト教徒の信仰の中にしか存在しなくなったのである。
また、アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイの作品に邦題が同名の長編小説がある。