アダムとイヴ
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アダムとイヴ(またはエバ)は、旧約聖書『創世記』に最初の人間夫婦と記される人物であり、天地創造の一環としてヤハウェ(新共同訳聖書では主なる神)によって創造されたとされる(創世記 1:26-27)。
なお、アダム(אָדָם)とはヘブライ語で「土」「人間」の二つの意味を持つ言葉に由来する。
またイブはヘブライ語でハヴァ(חַוָּה)といい「生きる者」または「生命」の意味である。本項では新共同訳聖書の表記にしたがって以下エバと表記する。なおこのエバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(英語形 Eveに由来する)という読みはギリシア語形エウア (Ευά)に由来する。
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[編集] 創世記の失楽園の物語
アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木はすべて食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し、善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実は、このときは食べてはいけないと命令されてはいない。その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近づき、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧め、二人は目が開けて自分達が裸であることに気づき、イチジクの葉で腰を覆ったという(『創世記』 2:15-3:7)。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠の苦痛が増し、また、地(アダマ)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す(3:14-19)。アダムが女をエバと名づけたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることをおそれ、彼らに衣を与えると、二人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめく剣の炎をおいた。(3:20-24)。
アダムは930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない(5:5)。
17世紀のイギリス人作家、ジョン・ミルトンは、この物語をモチーフにして『失楽園』(Paradise Lost:1667)を書いている。
「善悪の知識の木」の実はよく絵画などにリンゴとして描かれているが、『創世記』には何の果実であるかという記述はない。
[編集] 外典偽典のアダムとエバ
『ヨベル書』によればアダムとエバはエデンの園で7年間手入れと管理を行なっていた。4月新月追放されエルダ(アダムとエバ起源の地)に住みつき農耕をはじめた。長男カイン(第二ヨベル第3年週誕生)は長女アワン(第二ヨベル第5年週誕生)と、三男セト(セツ、第二ヨベル第5年週の第4年誕生))は次女アズラ(第二ヨベル第6年週誕生)と結婚した。なおアベル、エノクの他男女8人の子がいた。
『モーセの黙示録』、『アダムとエバの生涯』によれば追放の際サフラン、カンショウコウ、ショウブ、シナモン他の種を持っていくことを許可された。また追放後も大天使ミカエルにより種をもらったり、エバの出産を助けてもらうなどしている。息子30人と娘30人もうけたという。追放後18年2ヶ月後子供が生まれた。
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[編集] クルアーンにおけるアダムとその妻
イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)では、エロヒムはアッラーフとアダムはアラビア語でアーダム(Ādam)と呼ばれ、人の祖にして最初の預言者として登場する。イスラム教ではアーダムは「人の父」と称され、人を総称するときは「アーダムの子ら」という語が使われ、「アーダムの」といえば「人の」という意味にもなる。
アーダムの妻、すなわちエバはアラビア語ではハウワーと呼ばれるが、クルアーンにはその名前は直接に言及されていない。
クルアーンによれば、アーダムはアッラーフの地上における「代理人」(ハリーファ)として土から創造されたという。天使たちは人を地上に置くと地上で悪をなすと反対したが、アッラーフは最初の人としてアーダムを創造し、万物全ての名称を教えた。そのため天使ですらも万物の名はアーダムから教わり、彼に平伏したという(『クルアーン』第2章「牝牛」30-34節)。しかし、先に天使と同じような存在あるいは天使の一員としてアッラーフによって創造されていたイブリースが、自分は火から創造されたので土から創造されたアーダムより優れていると称し、平伏することを拒絶して、アッラーフの罰の猶予により最後の審判の日まで人を惑わし続ける悪魔になった。
続いてアッラーフはアーダムの妻を創造し、2人を楽園に住まわせた。しかしアーダムはイブリースの言葉に惑わされて、妻とともにアッラーフに食べることを禁じられていた楽園の果樹の実を食べてしまった。二人はこれを悔いてアッラーフに悔悟し、罪を許されたものの、楽園を追放されて地上に下された(『クルアーン』第7章「高壁」)。『クルアーン』の伝える物語は、『創世記』の失楽園物語と比較すると、果実を食べるよう誘ったのが蛇ではなくイブリース(悪魔)である、誘われて果実に手を出したのは妻ではなくアーダムのほうであるという違いがあり、またアッラーフの怒りは2人の悔悟により許されたのでキリスト教のような原罪は発生しない。
その後、2人は地上で子をもうけ、人類の祖となったとされる。なお、『クルアーン』には記述されていないが、イスラム教の伝承によれば、地上に降りた2人ははじめ別れ別れであったが、のちにマッカ(メッカ)郊外のアラファート山で再会することができたという。
[編集] キリスト教のアダムとエバ
失楽園の物語は、キリスト教では「原罪」として宗教的に重要な意味を与えられる。新約聖書では、アダムは騙されなかったとして、アダムの罪の大きさを指摘する他、イエス・キリストを「最後のアダム」と呼ぶなど、アダムへの言及が各所に見られる(テモテへの手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙一 15:45)。また、女を騙した蛇はサタンであるとされる(ヨハネの黙示録 12:9)。
[編集] 聖書学研究
創世記の創造の箇所は、聖書の文献批判的研究の聖書学では、二つの異なる伝承の組み合わせになっていると考えられている。その分類に基づくアダムとエバの創造の記述は以下の通りである。
- 祭司資料による伝承(創世記1
- 27-1:31)
- (3日めに乾いた陸と植物が創られ、5日めに水中の生き物が創られ、6日めにまず地上の動物が創られた。)
- 全能者である神エロヒムは自らにかたどって人間を創造した。
- 男と女は同時に創造された。
- 神は男女を祝福し、子孫を増やして地上に満ちて地を支配するよう命じた。
- ヤーウィスト資料による伝承(創世記2
- 6-2:25)
- 主なる神ヤハウェが天と地を作ったとき、地に木も草もまだはえていなかった。神は雨を降らせていなかったが地は「泉」(地下からの水)でうるおっていた。神は土の塵(アダマ)から人(アダム)を形作り、その鼻から命の息吹を吹き込んだ。のち、草木を創りエデンの園を管理させた。
- アダムが動物の中で自分に合うふさわしい助け手をみつけられなかったので、神はアダムを眠らせ、あばら骨の一部をとって女をつくった。
- アダムは女を見て喜び、男(イシュ)からなったものという意味で女(イシャー)と名づけた。
一般にはヤーウィスト資料のアダムとエバの創造物語が有名であり、中世においては、この部分の記述から「男のあばら骨は女より一本少ない」と真剣に考えられていた。かつては(その解釈が聖書の著者の意図に沿っているのかどうかはともかく)女性蔑視の根拠となったこともあるが、祭司資料においてはより人間賛美的、男女同権的思想であるといえよう。