エリーザベト・クリスティーネ (プロイセン王妃)
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エリーザベト・クリスティーネ(Elisabeth Christine von Braunschweig-Bevern, 1715年11月8日 - 1797年1月13日)は、プロイセン王フリードリヒ2世の妃。父はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公フェルディナント・アルブレヒト2世。
1733年に王太子フリードリヒと結婚したが、夫はエリーザベトをほとんど遠ざけていたため、子供はできなかった。父王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が死去した後、王位を継承した夫フリードリヒ2世は王妃エリーザベトとは完全に別居するようになった。エリーザベトは美しい容姿で、信仰心が篤く善良な人柄であったが、フリードリヒはほとんど関心を持たなかった。控えめな性格でもあった彼女は、王に敬して遠ざけられる境遇を甘んじて受け入れた。それでも夫を尊敬し続け、1786年のフリードリヒの死に際しては人一倍悲しんだと言われる。
エリーザベト・クリスティーネ自身は子を生さなかったが、妹ルイーゼが夫フリードリヒの弟アウグスト・ヴィルヘルムと結婚し、フリードリヒの後継者フリードリヒ・ヴィルヘルム2世らをもうけている。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の最初の妻で同名のエリーザベト・クリスティーネは、兄カールの娘である。
[編集] 備考
神聖ローマ皇帝カール6世の皇后でマリア・テレジアを産んだ同名のエリーザベト・クリスティーネは同じブラウンシュヴァイク家の出身で又従姉に当たる。
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