オットー4世 (神聖ローマ皇帝)
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オットー4世(Otto IV,1175年 - 1218年5月16日)はヴェルフェン家出身の神聖ローマ皇帝(在位:1198年 - 1215年)。
ハインリヒ獅子公の息子。1197年、ハインリヒ6世が死去すると、後継者のフリードリヒ2世が幼少だったために即位できず、皇位をめぐっての争いが発生する。このときオットー4世は、ハインリヒ6世の弟で東ローマ皇帝イサキオス2世の娘婿であったフィリップと争って敗れた。しかし、1208年にフィリップが暗殺されたため、翌1209年、ローマ教皇の戴冠を受けて正式に神聖ローマ皇帝として即位した。
しかしオットー4世は、即位後に大規模なイタリア遠征を計画したため、教皇と対立して破門され、ドイツ諸侯の支持を失ってしまう。さらに成人したフリードリヒ2世を皇位に推すフランス王フィリップ2世と対立して争うが、1214年にブービーヌの戦いでフランス軍に大敗する。諸侯に完全に見放されたオットー4世は翌1215年、廃位の上に追放され、1218年にブラウンシュヴァイクで病死した。
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