カムイ
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カムイは、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のこと。アイヌ民族の伝統的信仰は日本神道に近いとする説もあり、その場合多神教に分類される。カムイが日本語のカミの語源あるいは共通起源の語彙であるとする説もあるが、日本語などの「かみ」とは多少意味が異なり、「霊」や「自然」と表現してもおかしくない。
[編集] アイヌの自然観
歴史観では、動植物や自然現象、炎など、あらゆるものにカムイが宿っているとされ、逆に人間に見える自然の姿はカムイの仮の姿であって宿られているだけの着物だとされていた。実際のカムイの姿は、下記のアペフチカムイ(火の神)なら赤い小袖を着たおばあさんなど、そのものを連想させる姿と考えられている。
名称では「キムンカムイ」(山の神:熊のこと)「チェプカムイ」(神の魚:鮭のこと)のように、「 - カムイ」などのように用いられる。アイヌの考えでは、自然界にあるもの(例えば水や樹木など)や人間の役に立つものはピルカカムイ、人間に害を及ぼすカムイはウェンカムイとされる。カムイは神道や他の多くの宗教の「神」とは違い、人間と対等に並び立つ存在とされ、アイヌ(=人間)とカムイがお互いを支えあって世界が成り立っていると考えられていて、神を神の国へ返還するも神を新しく作るもアイヌの勝手となっていた。
アイヌにとって特に大切とされたカムイにはワッカワシカムイ(水のカムイ)がある。水はアイヌの人々の生活になくてはならないものであったからである。又アイヌの人々は川が海から山へ向かって流れているものと考えており川が海から魚を運んできてくれるものとしており、このため生活を魚の採取に頼っているアイヌの人々は川を食料を与えてくれるものとしてペトルンカムイ(川の霊)といって祀った。さらに樹木は住居や丸太舟を作るのに有用でシランパカムイ(樹木のカムイ)と呼んでいた。シランパカムイのなかには性格の良いものと悪いものがいるとアイヌの人々は考えており、性格の良いカムイというのは家の柱などにしてもなかなか腐らないドスナラやエンジュなどのカムイ、悪いものは柱にするとすぐ腐るし火にくべてもまるで用を成さないドロヤナギのような樹木のカムイであるとしていた。シランパカムイという言葉はまた樹木の集合体としての山そのものをもさし、山がクマなどの動物を蓄えていてアイヌの人々がそれを必要とするときはいつでもそこからもらっていくことの出来るいわば自然の倉庫として考えられていたためこれも神とされていた。遠くのほうにひときわ目立つ大きな山は道しるべとしてしばしばアイヌの人々も命を助けられてきたため特にそういう山は二風谷地域の幌尻岳に代表されるようによく祭られた。
アイヌの考えるカムイはもちろん彼らの住居の中にもあり、家に入って入口のすぐ右側の柱にはエチリリクマッ(夫婦の霊)、囲炉裏の中にはアペフチカムイ(火の霊)、家の東の角にはチセコロカムイ(家の守護霊)がいた。また例えば熊がアイヌの狩りにより捕らえられたとき、それをアイヌは「キムンカムイが毛皮と肉を持って自分たちのもとにやってきてくれた」と解釈する。したがって、毛皮や肉など、利用できるものを利用させてもらい、カムイには感謝してカムイノミ(カムイ送りの儀式)を行って還ってもらうというようにカムイは行くも帰るもアイヌの意志によって自由に出来るものであった。このようにカムイは最初にも述べたがアイヌと対等な関係にあり、役に立てばイナウなどの供物がもらえるが役に立たなければ神の国に帰らされるというものであった。アイヌは、カムイを造ったり神の国に帰ってもらったりする際は最初にアイヌにアイヌの生活や文化を教えたオキクルミカムイのアイヌに示した手法をそのまま行い、アイヌには何も責任がないということを表明することも決して忘れなかった。
カムイの種類としては、上に登場したものの他にカムイチカップカムイ(フクロウの霊)、レプンカムイ(海の霊)、ユッコルカムイ(鹿の霊)、シトゥンペカムイ(黒狐の霊)、チェプコルカムイ(魚の霊)、ヌサコルカムイ(御幣棚の霊)、アユシニカムイ(病気を避ける霊)、ネウサラカムイ(話し相手の霊)、レプンシラッキ(アホウドリの霊)、キムンシラッキ(キツネの霊)、ホイヌサバカムイ(雨乞いの霊)などもあった。