ガレアッツォ・ヴィスコンティ2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガレアッツォ・ヴィスコンティ2世(1321年 - 1378年)は、中世イタリア・ミラノの名族・ヴィスコンティ家の専制君主(僭主)。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの父。
決して無能ではなく、むしろ君主としては有能なほうであったが、長年にわたって病弱で関節炎を患っていたため、弟のベルナボと共同統治を行なう一方で、ミラノを東西に分割して自身は西半分、弟は東半分の領地を経営する体制をとった。また、フランスやイギリスとの政略結婚によるミラノの地位安定を図り、これに成功を収めた。これは後にジャンが勢力拡大を行なうときに役立っている。
政治家として有能な一方、文化に対する造詣も深い教養人であり、特に建築に熱心であった。桂冠詩人のペトラルカとも親交があったと言われている。1378年、58歳で死去し、後を息子のジャンが継いだ。