僭主
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僭主(せんしゅ、英:tyrant、希:τυραννος)とは、古代ギリシアで貴族制をとるポリスにおいて政治的影響力を増大させてきた平民の支持を背景に、貴族の合議制を抑えて独裁的権力を振るった政治指導者。僭帝、僭王とも。また、中世後期のイタリアなどで共和制国家のトップながら独裁制をしいた指導者などにも同じ訳語が与えられている。
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[編集] 古代ギリシャの僭主
貴族政のポリスは、神話時代に遡る伝承に基づく正統な血統を継いでいることをもってポリスの指導者たる根拠とした、王制を既に廃するか形骸化することによって、同様に正統な血統を誇る貴族層全体の合議制の政体を成立させていた。しかし、交易などによって貴族層に並ぶ経済力をつけた実力者が平民層に増えてきたことや、こうした富裕平民が重装歩兵の密集隊の戦術によってポリスの戦役に大きく貢献するようになってきたことで、彼らがポリスの政治から疎外されていることに対する不満が増大していった。
こうした中で、政治力に富んだ貴族の一部で富裕平民層の意向を政治に反映させることで彼らの支持を取り付け、貴族層全体の利益を保証することを目指す貴族たちの合議体制を非合法的に押さえつけ、独裁的権力を握る者が現れたのである。彼らは血統の正統性をではなく、富裕平民層の支持を背景にポリスの指導力を発揮したため、「王(バシレウス)」ではなく「僭主(ティランノス)」と呼ばれた。日本語訳の「僭主」とは「(王であるかのような権力を)僭称する(ポリスの)主(あるじ)」を意味しており、その権力の非合法性を強調している。
僭主たちはポリスにおける平民層の実力増大の過渡期的存在であったため、貴族層と平民層を包含した市民団が成立して、この集団全体によるポリス運営、即ち民主制が成長していったアテネのようなポリスでは、抑圧的な独裁者として糾弾され、姿を消していった。
[編集] 歴史上の僭主
[編集] イタリアにおける僭主
13世紀からルネサンス時代にかけてのイタリア半島では共和制を敷いていた各都市国家内で、富裕な一族から公職選挙などを操作し、事実上国家を支配する僭主(シニョーレ)達が出現した。ミラノのヴィスコンティ家、フィレンツェのメディチ家などはその最たる例である。
[編集] 関連項目
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