クマラスワミ報告
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クマラスワミ報告(くまらすらわみほうこく)とは1996年1月に国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書。調査代表者Radhika Coomara-swamyの名前をとってクマラスワミ報告もしくはクマラスワミ報告書と呼ばれる。(E/CN.4/1996/53) また、日本の従軍慰安婦についても付属文書(E/CN.4/1996/53/Add.1(4 January 1996) 「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共 和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」)でとりあげており、「慰安婦」とは性奴隷である事を明記し、女性の人権の擁護と個人補償を訴えた報告書として評価されている。
報告書は1996年4月国連人権委員会で公認する決議が行われている。
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[編集] 特徴
慰安婦問題について日本政府に法的責任を取ることを求め、特に被害者個人への賠償責任が日本政府にあることを強調したことで画期的である。ただ責任者の刑事責任については日本政府に訴追する義務があるとしながらも、「できる限り行う義務がある」という表現にとどまっている。勧告の最後で「犯行をできるだけ特定し処罰するべきだ」にとどまり具体的な実施方法には触れていない。(本文は全文が外部リンクで読める)
[編集] 日本政府への勧告
- 日本軍によって設置された慰安所制度が国際法違反であることを認め、その法的責任をとること
- 日本軍性奴隷制の被害者個々人(元慰安婦)に対し、原状回復と賠償を行うこと
- 慰安所について、日本政府が所持するすべての文書の完全な開示
- 名乗り出た日本軍性奴隷制の女性被害者、個々人に対し書面による公的謝罪をなすこと
- 歴史的現実を反映するように教育内容を改めること
- 慰安所への募集及び収容に関与した犯行者をできる限り特定し、かつ処罰すること
[編集] 背景
1990年初期に始まった元「慰安婦」の個人補償請求運動が、被害者の主張に賛同する国際世論を導きだしJCL、ILO、ICPO-INTERPOL、WCCなどの支持と協力を得て展開された。国連での活動は1992年頃から主に国連人権委員会小委員会を足場にして行われ様々な報告と決議がされてきた。
1992年12月18日、国連人権委員会小委員会でIED(国際教育開発)が軍隊慰安婦・強制連行の問題を取り上げ、この問題の国際的解決を訴えた。1993年5月小委員会で日本政府に対して、元慰安婦に対して個人補償を勧告するIEDの最終報告書が正式に採托され、日本政府に留意事項として通達された。1993年7月国連人権委員会の「人権委員会差別防止・少数者保護小委員会」で「戦時奴隷制問題」の特別報告者を任命する決議が採択され、スリランカのラディカ・クマラスワミが特別報告官に任命された。
この時期日本政府はアジア女性基金を設置し元慰安婦個人への補償を行う方針を決めていたが、1995年4月の現代奴隷制作業部会は「第二次世界大戦中に性奴隷とされた女性の問題に関して」初めて日本政府を名指しし、行政的審査会設置による解決を勧告した。1995年8月国連人権小委員会はこの勧告を受け入れる決議をしている。この段階で「性奴隷」が日本の問題であることが国連決議の上でも明確になった。
これ以前にも、国連人権委員会の「人権委員会差別防止・少数者保護小委員会」特別報告者であるファン・ボーベンによる最終報告書(1993年8月提出)[1] 、これ以後には同特別報告者ゲイ・マクドゥーガルによるマクドゥーガル報告書(1998年8月採択)がある。
- ^ 名称は「人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の原状回復、賠償及び公正を求める権利についての研究」