マクドゥーガル報告書
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マクドゥーガル報告書(まくどぅーがるほうこくしょ)は、1998年8月国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で採択されたゲイ・マクドゥーガル戦時性奴隷制特別報告者の「武力紛争下の組織的強姦・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書」のこと。
日本軍の慰安婦制度に関する国連の一連の報告書の中で最新のものであり、最も事件を詳しく調査し、慰安所は性奴隷制度であり女性の人権への著しい侵害の戦争犯罪であり、責任者の処罰と被害者への補償を日本政府に求めた。報告書では慰安所を「強姦所」と呼んでいる。事実認定において強制連行の有無などは問題とはなっておらず、慰安所のあり方と軍政府の関与から判断されている。
報告書は1998年8月国連人権委員会で「歓迎」する形で決議が行われている。
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[編集] 内容と特徴
本文と付属文書からなり、本文では戦争と武力紛争下の性暴力をいかに裁くべきかが論じられ、付属文書では日本軍の慰安婦について、日本政府に反論する形で慰安婦制度の責任者の処罰と賠償を勧告している。
内容要点は、日本の慰安婦については以下である。
- (1)慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」である
- (2)日本政府には以下の国家責任がある
- 日本軍の要請で慰安所を経営したもの、および利益を得た民間人のした行為に責任がある
- 慰安婦への被害を防止できず加害者を処罰できなかったこと自体に責任がある
- 被害者個々人が国際法の主体であることを認め、日本政府への賠償請求権を認めた(従来の国家間の国家賠償に関する平和条約は国家間の経済的協定に限定されているので、それらに関係なく被害者の賠償請求権は消滅していない)
- 日本のアジア女性基金は法的責任に基づくものではないので、新たに賠償を行うべきである
- 強姦所の設置監督に責任のある政府、軍関係者を訴追し、違法行為を行った(強姦した)兵士個々人も証拠に基づき裁くべきである
全文は『戦時・性暴力をどう裁くか:国連マクドゥーガル報告全訳 凱風社 2000』で読むことができる。
[編集] 勧告
- 本文勧告
1コス・ユーゲンス違反である性奴隷や性暴力などの国際犯罪はどこの国でも裁けるよう国内法を整備すべきである 2専門家会議を開き性暴力を各国で裁くためのガイドラインを作る 3各国の国内法の改正を促すため定期刊行物を出す 4性暴力被害者に対してきめ細かい支援体制を作る 5国連人権高等弁務官は国連、各国政府、NGOと協力し戦時性暴力に関する証拠を集める 6防止操作訴追補償軍人訓練などにジェンダーの視点を組み込む
- 付属文書勧告
1国連が日本政府に刑事責任の追及を促す(国連人権高等弁務官が捜査、逮捕、起訴を可能にする立法措置) 2アジア平和基金は法的責任に基づくものではない 3国連人権高等弁務官が公的補償のための委員会を設置すべき 4日本政府が国連に対し以上の活動状況の報告書を年2回だすこと
[編集] 問われている犯罪(国際法に対する違反)
基礎には国際法に明文化されていなくても絶対に守るべき規範というコス・ユーゲンスの考え方[1] があり、奴隷制、拷問、ジェノサイドがこれにあたる。日本政府はこの件で今まで国際裁判所などで訴追されたことはない。しかし理論的には2002年発効した国際刑事裁判所では、戦争犯罪についてはいつでも扱えうる(時効はない)。日本は未加盟であるが、オーストラリアなどの締約国が付託し(問題を預け)、常任理事会で認められ、検察官が起訴に適当とすればいつでも扱える状態にある。[2]
- (1)奴隷制
- 奴隷制の禁止は1945年のニュルンベルグ裁判で明文化され、慰安所創設時には国際法には記載されていない。しかし奴隷制の禁止が当時既に国際的慣習でありコス・ユーゲンス(いついかなる状態でも守るべき規範)であるので国際法に明記されていなくても、奴隷制禁止に違反した罪で訴追できるとしている。
- (2)人道に対する罪
- 奴隷化、奴隷にするため移送すること、広範囲または組織的に行われた強姦の罪。これらは戦時、平時を問わずに訴追できる。また実行に限らず計画立案、方針検討でも訴追要因となる。更に大規模な侵害(多数で広範囲な地域への慰安所設置)という事態に直面した場合、行動を起こさなかった事自体も訴追の要因だとしている。
- (3)ジェノサイド(朝鮮民族虐殺)
- ジェノサイド犯罪の中核的要素は民族などある集団を滅ぼそうとする意図だが、女性という集団を通じてこれが成立する可能性が十分ある。その集団全体を滅ぼそうとする意図の証明は不要であり、かなりの部分を滅ぼそうとする意図の証明で十分である。意図の証明は殺害行為自体から推定する事がある程度認められる。(参考:ルワンダ紛争の判決では強姦によるジェノサイドが認められている)
- (4)拷問
- 武力紛争下の強姦と深刻な性暴力はその大部分が拷問として認定できる。欧州人権裁判所は拘禁中の強姦は拷問に相当するものとしている事を付記している。
- (5)戦争犯罪(強姦)
- 戦争犯罪としての強姦の罪。強姦と強制売春が当時慣習法として禁止されていたことは十分に立証されている。戦争犯罪は国内・国外を問わずに武力紛争下における犯罪に問える。戦争犯罪としての強姦は被害者の意志に反しているという証明は不要であり、戦争下に慰安所にいたという状態だけで被害の証明になるとしている。
[編集] 背景
1990年初期に始まった元「慰安婦」の個人補償請求運動が、被害者の主張に賛同する国際世論を導きだしJCL、ILO、ICPO-INTERPOL、WCCなどの支持と協力を得て展開された。国連での活動は1992年頃から主に国連人権小委員会を足場にして行われ様々な報告と決議がされてきた。
1992年12月18日、人権小委員会でIED(国際教育開発)が慰安婦・強制連行の問題を取り上げ、この問題の国際的解決を訴えた。1993年5月国連人権委員会で日本政府に対して、元慰安婦に対して個人補償を勧告するIEDの最終報告書が正式に採托され、日本政府に留意事項として通達された。1994年国連人権委員会の「人権委員会差別防止・少数者保護小委員会」で「戦時奴隷制問題」の特別報告者にリンダ・チャペス委員が任命され、その後マクドゥーガル委員に代わった。
この時期日本政府はアジア女性基金を設置し元慰安婦個人への補償を行う方針を決めていたが、1995年4月の現代奴隷制作業部会は「第2次世界大戦中に性奴隷とされた女性の問題に関して」初めて日本政府を名指しし、行政的審査会設置による解決を勧告した。1995年8月国連人権委員会はこの勧告を受け入れる決議をしている。この段階で「性奴隷」が日本の問題であることが国連決議の上でも明確になった。
これ以前にも、国連人権委員会の「人権委員会差別防止・少数者保護小委員会」特別報告者であるファン・ボーベンによる最終報告書(1993年8月提出)[3] 、同じく「戦時奴隷制問題」の特別報告者のラディカ・クマラスワミにいよるクマラスワミ報告書(1996年4月採択)[4] がある。
- ^ 条約法に関するウィーン条約、第53条では「いかなる逸脱も許されない規範でかつまた同一内容の一般国際法の規範の変更でしか修正できない規範であって、国際社会が全体として受け入れかつ認めた」規範。加害者又は被害者にその国の国籍がなくても、犯罪の実行がその国の領土でなされていなくても、普遍的裁判管轄権にもとづき全ての国家が訴追できる(戦時性暴力をどう裁くか、凱風社、2000)
- ^ 戦争犯罪と法、多谷千香子、岩波書店、2006
- ^ 名称は「人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の原状回復、賠償及び公正を求める権利についての研究」
- ^ 名称は「女性への暴力特別報告」
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 国際法、条約関係
- 1926 Slavery Convention (英文)
- 1930 Forced Labour Convention(英文)
- 1907 ハーグ陸戦条約
- 1907 Hague Convention(英文)
[編集] 賠償責任関係
- サンフランシスコ平和条約1951年9月8日
- 日華平和条約1952年4月28日
- 日中共同声明1972年9月29日
- 日中平和友好条約1978年8月12日
- 日韓基本条約1965年6月22日
- 日韓請求権協定1965年6月22日