グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
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グナエウス・ドミティウス・アエノバルブス(Gnaeus Domitius Ahenobarbus 紀元前17年-40年)。ユリウス・クラウディウス朝の皇族の近い親戚。
父はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス、母は大アントニア、2人の間に唯一生まれた男子である。妹にはドミティア・レピダがいる。カリグラは義理の兄弟、クラウディウスとは従兄弟同士となる。そして彼は後のローマ皇帝ネロの実の父親である。
[編集] 人物評
「性格はとても卑劣で不誠実だ」とスエトニウスは彼の事を非常に厳しく書いている。少年の頃、ドミティウスはガイウス・カエサルの東方に派遣された時に彼に仕えていた。彼の記述には悪行の類いが絶えない。
まず彼が飲むだけの酒が用意できないという理由だけで自分の解放奴隷を殺した。人形で遊んでいた子供を馬でわざと踏み付けた。フォロ・ロマーノで彼を公然と批判したエクィテスの者の片目をくり抜いた。自分の浪費を金持ちに肩代わりさせた。またプラエトル職にある時、ドミティウスは戦車競技の賞金をだまり取ったと伝えられる。皇帝ティベリウスはドミティウスのこのような悪行に国家反逆罪、不義、姉妹との近親姦の咎で処断しようとしていたが、ティベリウスは没しカリグラが帝位に上がり、命拾いをする。またドミティウスは片っ端から女性に手をつけていたとも言う。
彼の従姉妹の小アグリッピナと彼女が13歳の時に結婚する。ティベリウスがこの結婚の段取りを決め、ローマで夫婦は祝福された。
32年にコンスル職に就任、37年、息子が生まれる。名前はドミティウスの父親と同名のルキウス・ドミティウス・アエノバルブス(後のローマ皇帝ネロ)。
ドミティウスは遺産の三分の一は息子ルキウスに渡るように書いていたが、生前、息子の取り分には明言していたカリグラが彼の死後になって彼の取り分を全部横取りしてしまった。しかしカリグラが暗殺され、クラウディウスの治世になって息子ルキウスは元通りに取り分を戻せたと言う。
[編集] 関連項目
- ユリウス・クラウディウス朝
- 大アントニア:母
- 小アグリッピナ:妻
- ネロ:実の息子
カテゴリ: 古代ローマ人 | ユリウス・クラウディウス朝の人物 | 紀元前17年生 | 40年没