グレイ伯チャールズ・グレイ
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第2代グレイ伯チャールズ・グレイ(Charles Grey, 2nd Earl Grey, 1764年3月13日 - 1845年7月17日)は、イギリスの政治家。ホイッグ党代表、首相(1830年 - 1834年)。
貴族の家柄に生まれ、1786年、22歳で議員に選出される。チャールズ・グレイと呼ばれたが、1806年に父が英国貴族に昇進し、初代グレイ伯となるによって、彼もホーウィック子爵(Viscount Howick)となり、翌年、1807年、父の死により爵位を襲い、第二代グレイ伯となる。
初期は、小ピット内閣を批判して名をあげる。1830年、選挙でトーリー党を破り、ウェリントン内閣(1828年 - 1830年)を崩壊させる。組閣後、七月革命にならい、第1回選挙法改正を成立させる(1832年)。さらに翌年、奴隷法を廃止する。彼以後、自由党(ホイッグ党の後身)と保守党(トーリー党の後身)の二大政党政治が展開されてゆく。
紅茶好きとしても知られ、アールグレイは彼にちなんで付けられた名前である。
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