ゲオルク・フォルスター
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ヨハン・ゲオルク・アダム・フォルスター(Johann Georg Adam Forster, 1754年11月27日 – 1794年1月10日) はドイツの博物学者、民俗学者、旅行家、ジャーナリスト、革命家。
子供のときから父に付き添って、いくつかの科学的な探検に参加する。 そのひとつはジェイムズ・クックの 二度目の太平洋航海である。この航海の報告、”世界一周の航海”は、ポリネシアの民俗学に大きな貢献をし、今なお科学者や一般の読者の尊敬を受けている。この報告が高い評価を受け、フォルスターは22才でイギリスの王立協会の会員になった。近代の科学的な旅行文学の創立者と考えられている。
フォルスターはドイツにおける啓蒙主義の中心人物であり、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルグを含む多くの啓蒙主義の人物と交際があった。彼の思想と人格は19世紀ドイツの偉大な科学者であるアレクサンダー・フォン・フンボルトに大きな影響を与えた。1793年七月、できたばかりのマインツ共和国の代表としてパリに滞在中、マインツがプロシャとオーストリアの連合軍に占領され、フォルスターは犯罪者と宣告された。このため、ドイツにいる家族や友人に会えぬまま、1794年1月にパリで病死した。