ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
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ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年4月6日 - 1917年2月10日)は、神話や文学作品に登場する女性を題材にしたことで知られるイギリスの画家。ラファエル前派に属する画家の1人と見なされている。
ジョンは、ウォーターハウス家のウィリアム(William)とイザベラ(Isabela)の子として、ローマに生まれる。両親共に画家であった。一家は、ジョンが5歳のときに、当時設立されたばかりのヴィクトリア&アルバート美術館の近くのサウス・ケンジントンに引っ越す。1870年に英国王立美術院(Royal Academy)に入るまで、若かりし頃のジョンはずっと父親の元で学んでいた。彼の初期の作品のテーマは、ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema)とフレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)に影響を受けた古典的なものであった。また、これらの作品は英国王立美術院の英国芸術家協会(the Society of British Artists)とダドリー・ギャラリー(the Dudley Gallery)に展示された。
1874年25歳のとき、ジョンは古典的な寓意画 Sleep and His Half-Brother Death を英国王立美術院の夏の展示会で発表する。この絵はとても好評であったため、1917年に死去するまでほとんど毎年、彼は英国王立美術院の展示会に招かれた。
1883年、彼はロンドンのイーリングの美術教師の娘エステル・ケンワージーと結婚する。エステル自身も絵を描き、花の絵を英国王立美術院の展示会などに出品している。この夫婦に子供はできなかった。
1895年、ジョンは英国王立美術院の最高芸術院会員に選ばれる。彼はセントジョーンズウッドの美術学校で教鞭を取り、同じ地の芸術クラブにも参加していた。また、英国王立美術院評議会(Royal Academy Council)の議員もしていた。
ランスロット(Lancelot)の愛を得られぬことを知った悲しみのあまりに死を選ぶ乙女を描いた作品、"シャロットの女(The Lady of Shalott)" が、ウォーターハウスの最も有名な作品であろう。この乙女の題材は、実際にはそれぞれ異なる3種類のバージョンがある。最初に描かれたのは、1888年である。
1917年に死去するまで絵を描き続けた彼は、今もロンドンのケンサル・グリーン墓地(Kensal Green Cemetery)に眠る。
[編集] 代表作
- The Lady of Shalott (シャロットの女)
- "Hylas and the Nymphs" (ニンフ)