ラファエル前派
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ラファエル前派(らふぁえるぜんぱ、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した画家たちのグループである、19世紀後半の西洋絵画史は、フランスで発展した印象派とその後継者たちを中心に語られるのが常であるが、同時代のイギリスには、印象派とは別のやり方で新しい時代の絵画を創造しようとしていた、ラファエル前派や周辺の画家たちが存在していたことを忘れてはならない。
1848年、ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt, 1827年-1910年)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais, 1829年-1896年)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828年-1882年)ら7人の美術家が結成したグループが「ラファエル前派」である。なお、上記3人以外のメンバーはマイケル・ロセッティ(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの弟)、コリンソン、スティーヴンス、ウールナーの4人だが、これらの人物は美術史上ほとんど忘れられた存在である。他に、正式のメンバーではないが、交流があり画風的にも近いフォード・マドックス・ブラウン(Ford Madox Brown, 1821年-1893年)とアーサー・ヒューズ(Arthur Hughes 1830年-1915年)、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年-1917年)、ロセッティの影響を大きく受けたエドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones, 1833年-1898年)など、ヴィクトリア朝イギリスの画家たちを含めて「ラファエル前派」ととらえる場合もある。
「ラファエル前派」の原語はPre-Raphaelite Brotherhoodであり、日本語では「ラファエル以前兄弟団」とでも訳すべきものである。「ラファエル」とはイタリア・ルネサンスの巨匠であり、西洋古典絵画の代名詞とも言える画家ラファエロのことを指す。「ラファエル以前」という言葉には、当時(19世紀)のアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱える意味があった。ハント、ミレイ、ロセッティらは、1849年から、自らの絵画に署名とともにPre-Raphaelite Brotherhoodの頭文字「P.R.B.」を記入したが、当時の鑑賞者にはこの「P.R.B.」が何を意味するものかわからなかった。
ラファエル前派の絵画の特色として、以下のことが挙げられる。まず、題材は中世の伝説、聖書、文学などに取材したものが多い。画風は徹底した細密描写が特色であり、光と影を追求した印象派の絵画とは異なり、画面のすべての部分に均等に光が当たっているように見える作品が多い。ラファエル前派に思想的な面で影響を与えたのは、同時代の思想家であり美術批評家であったジョン・ラスキンであった。ラスキンの美術に対する考えは、一言で言えば「自然をありのままに再現すべきだ」ということであった。この思想の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すというラスキンの信仰がある。しかし、明確な理論をもった芸術運動ではなかったラファエル前派は長続きせず、1853年にミレイがロイヤル・アカデミーの準会員になったことなどをきっかけとして、数年後にはグループは解散した。
ラファエル前派をはじめとする19世紀イギリスの絵画は、「明星」や「スバル(昴)」などの文芸雑誌に紹介されながら、明治時代の日本の美術家(青木繁、藤島武二など)や文学者(夏目漱石など)にも影響を与えた。例えば、詩人の蒲原有明は、ロセッティの詩を盛んに翻訳し理解を深め、自らの作品にもその詩風を活かした。また、藤島武二の『天平の面影』(1902年)には、ラファエル前派の作品にしばしば描かれる婦人像の投影がみられる。