ジョン・ボウルビィ
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ジョン・ボウルビィ(John Bowlby,1907年-1990年)は、イギリスの医師、精神分析家、さらに母子間の絆研究の開拓者としても知られている(絆理論を参照のこと)。
ボウルビィは、外科医であった父親の勧めで、ケンブリッジ大学で心理学などを学んだのち、ユニヴァーシティカレッジ病院で医学を学んだ。その後、当時、新しい分野として台頭しつつあった児童精神分析に関心を持ち、その方向に専門を変更することを決心。既に学生時代から、精神分析や発達心理学に関心を寄せ、かなり早い時期からメラニー・クラインの著作にも親しんでいたという。
第二次世界大戦が始まってまもなく、彼はタヴィストック病院(en:Tavistock Clinic )に児童精神分析部門を立ち上げて欲しいという依頼を受ける。既に当時ボウルビィは、乳幼児は両親との実際の関係の中で、その子の発達の重要な基礎となる体験を積み重ねていくのであり、オイディプス・コンプレックスやその解決の仕方や、性の問題だけが、子どもの情緒的な発達に関係しているわけではないという確信を抱いていた。
1950年代、第二次世界大戦後のイタリアで孤児院、乳児院などに収容された戦災孤児の発達、身長、体重の増加、伸びの遅れや罹病率、死亡率、適応不良などが問題になり、ホスピタリズム(施設病)ではと、疑われたとき、彼は依頼を受けその調査に携わり、1951年、母親による世話と幼児の心的な健康の関連性についての論文を発表した。その中で、新生児が自分の最も親しい人を奪われ、また新しい環境に移されて、その環境が不十分で不安定な場合に起きる、そうした発達の遅れや病気に対する抵抗力、免疫の低下、メンタルなさまざまな支障を総称して、「母性的養育の剥奪」(deprivation of maternal care)といい、これは、WHOにより親を失った子どもたちの福祉のためのプログラムの根幹となった。
1958年には、子どもと母親の結びつきの本質についての考察の成果を初めて『母子関係の理論』全三巻(岩崎学術出版)という大部の研究に纏め上げた。これは、母と子の間には生物学的な絆のシステムというものが存在し、それが母親と子どもの情緒的な関係の発達を左右しているという主張を基にしていた。この見解は、彼が民族学的な、人間行動学的な研究成果も、とりわけコンラート・ローレンツやニコラス・ティンバーゲンの論文についてはかなり熟知していることを示すものであった。また、ロベルト・ヒンデによりショウジョウについての研究にも、彼は自分の臨床経験による経験知が実証されているのを見た。
1969年に出版された彼の本、『母子関係の理論』第一巻「愛着行動」の中で、彼は自らの絆理論のこれにより、母親と子どもの関係の中にある抑制的な要因と並んで、促進的な要因にも研究者に関心が初めて向けられるようになった。
その中で、新生児が自分の最も親しい人を奪われ、また新しい環境に移されて、その環境が不十分で不安定な場合に起きる、そうした発達の遅れや病気に対する抵抗力、免疫の低下、メンタルなさまざまな支障を総称して、「母性的養育の剥奪」(deprivation of maternal care)という言葉を使ったことで知られている。幼児に関わる専門的な職種の養成教育では、必ずといっていいほど聞かされる名前でもある。