スパイダー根本
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基本情報 | |
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本名 | 根本重光 |
あだ名 | |
階級 | フェザー級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1950年11月17日 |
出身地 | 福島県 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 54 |
勝ち | 43 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 9 |
引き分け | |
無効試合 |
スパイダー根本(すぱいだー ねもと、1950年11月17日 - )は福島県いわき市出身の元プロボクサー。日本フェザー級王者。右ファイタータイプ。身長155センチ
日本フェザー級タイトルを二度獲得し、連続13度、通算では14度防衛した名チャンピオンであった。短躯でパンチ力もいま一つであったが、敵の攻撃をかいくぐり執拗な連打を浴びせるインファイティングで、体格の不利を克服した。
[編集] 略歴
1971年にデビュー、全日本新人王となった後、1973年にWBA世界フェザー級王座に挑戦したが、パナマの名手エルネスト・マルセルに9回KO負けを喫した。その後1977年に足立茂義との王座決定戦に勝ち、日本フェザー級チャンピオンとなる。翌年、強打者ロイヤル小林の持つ東洋太平洋フェザー級王座に挑戦して敗れはしたものの、日本タイトルは順調に防衛を続けた。1980年、再び世界タイトルに挑んだが、15回判定負け。世界獲得はならなかった。時のチャンピオンが技巧派の名選手エウセビオ・ペドロサだったのも不運と言えよう。しかし、日本タイトルは13度の連続防衛を成し遂げ、国内では無敵の王者であった。1982年、アフリカ出身の友伸ナプニに判定負け、日本タイトルを奪われたものの、その後のリターン・マッチで奪回。その後1度のタイトル防衛の後、ファンに惜しまれつつチャンピオンのまま引退した。
[編集] 通算戦績
54戦43勝(11KO)9敗2引き分け。