ゼンタの戦い
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ゼンタの戦い(Battle of Zenta, Template:Lang-hu, Template:Lang-de)またはセンタの戦い(Sentaのとうそう)は、1697年に現セルビアに位置するセンタ(ゼンタ)近郊、ティサ川東岸で行われた、大トルコ戦争の主要な交戦でありオスマン帝国史における決定的敗北のひとつである。
北イタリアで立ち往生していたオーストリア軍が、1696年に敵国フランス王国からサヴォイアが離反するとともに解放されたことで、1697年には、オーストリアはこの戦争における自国の存在感の増強が可能となった。サヴォイア公オイゲン指揮するオーストリア軍は、ティサ川の横断を実現し、トルコ軍の意表をついてこれを壊滅した。オスマン宰相は、トルコ兵の反抗の中で戦場で暗殺された。
[編集] 余波
戦いは、オーストリアの驚くべき勝利であった。500人の犠牲で30,000人を撃破し、オスマン帝国のスルタンのハーレム、87の大砲、国王の宝箱と国章を奪い取った。主だったトルコ軍は散り散りになり、オーストリア人はボスニアでの完全な行動の自由を得、サラエボには火が放たれた。