大砲
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大砲(たいほう)は、兵器の一種で、巨大な弾丸を発射して敵を破壊・殺傷する火器の総称。砲・火砲もほぼ同義。「弾丸(球)を遠くに運ぶ」というイメージから野球において頻繁に本塁打を打つ打者又は強打者のことを表す言葉としても用いられる。数える際の単位は挺ではなく"門"である。
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[編集] 概要
これに分類される火器は重火器であり、銃よりも口径が大きい物とされる。ただし、この銃と砲との境界となる口径のサイズは軍や時代によって異なる。一般的には「銃よりも威力(殺傷力や破壊力)の大きな火器」と認識される。大砲の弾を砲弾といい、大砲を専門に扱う兵を砲兵、とくに発射する人を砲手という。
[編集] 大砲の種類
大砲はその形状・構造や用途・歴史的経緯等によって様々な分類がある。なお、やや銃との口径の差異が不明確な機関銃でも「砲」と名の付く種類の物も、他の大口径の機関砲に分類される事もあるため便宜的に記載する。
[編集] 用途等による分類
用途、歴史的分類による種別は以下の通り
- カノン砲(gun)
- 榴弾砲(howitzer)
- 迫撃砲(mortar)
- 臼砲(mortar)
- 無反動砲(recoilless rifle)
- ロケット砲(rocket launcher)
- 歩兵砲(infantry gun)
- 野砲(field howitzer)
- 対戦車砲(anti tank gun)
- 対空砲(anti aircraft gun)
- 機関砲(automatic gun)
- 戦車砲(tank gun)
- 山砲(mountain gun)
- 列車砲 (Railway gun)
- クルップ砲
- 海軍砲
[編集] 構造による分類
- ライフル砲
- 砲身の内側の螺旋条により、砲弾の飛翔時に回転を加えることによって、弾道の安定を図る方式の砲
- 滑腔砲
- 砲身の内側が滑らかになっている砲、初速が高いのが特徴
- ゲルリッヒ砲
- 砲尾から砲口にかけて口径が小さくなってゆく砲。口径漸減砲とも呼ばれる
- 多薬室砲(その形状からムカデ砲とも呼ばれる)
- 通常は尾栓側に入れられた装薬の力によって砲弾を発射する所を、複数の薬室を設け段階的に加速する事で射程距離の延長などを目指した砲
[編集] 明治以前に日本で用いられた大砲
[編集] 略史
大砲を効果的に使って大きな成功を収めたのは、オスマン帝国が最初である。1453年のコンスタンティノポリス包囲戦では、オスマン帝国のメフメト2世が大砲(ウルバン砲)を採用して戦果を上げた。
1571年のレパントの海戦でスペインを中心とした連合軍は砲撃を主体とした戦いで地中海の覇者オスマン帝国を撃破した。
1588年のアルマダの海戦でイングランド(イギリス)は、射程の長い軽砲を用いて重砲のスペイン無敵艦隊を撃破した。
ドイツ三十年戦争では、各勢力が大砲を使用し、ドイツの国土や都市が荒廃した。大砲を野戦で実践的に使用したのは、スウェーデンの王グスタフ・アドルフであった。彼は、戦闘のみならず、戦争全体に革命を起こしたと言ってよい。
フランス革命でナポレオン・ボナパルトは、ヴァンデミエールの反乱の鎮圧のためにパリ市内で人員殺傷用の散弾を装填した大砲を使用し、多大な戦果を上げた。
(以下続く)
[編集] 逸話
- ガリレオ・ガリレイは、大砲の弾道学を研究した。
- 楽器として用いられることもある。よく知られているものはチャイコフスキー作曲の「序曲1812年」だが、それ以前にベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」にも使われている。
- (陸上自衛隊の音楽隊が、観閲式などで「序曲1812年」を演奏する際、実際に大砲(空砲)を使用する)
- 幕末に高島秋帆が徳丸ヶ原(現高島平)で日本最初の近代砲術訓練を行った。
- 19世紀の初めまで、榴弾を遠距離投擲する実用的な手段は、往々筒内爆発に耐えるだけの肉厚をもった臼砲かロケットかあるいはトレビュシェットのような投石機しかなかった。
- 大砲を製造する技術・資材のない土地では、木砲を製作して利用することがあった。砲身を一つの丸木からくりぬくか、または複数の木材を組み立てて形成し、周囲を竹のたがやロープで幾重にも巻いて補強したものである。金属製の大砲と比べ使用できる発射薬の量も砲身命数も当然大きく劣る。砲身を英語で樽と同じbarrelと呼ぶのは、木砲作りに樽作りの技術を応用した名残といわれる。有名な話としては、日露戦争の際旅順の戦いにおいて日本軍は木砲を造り使用したという話も残っている(但し、製作したものは今日の分類においては迫撃砲に当たる)。