タニノハローモア
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1965年4月23日 |
死没 | 1985年10月15日 |
父 | ハロウェー |
母 | ジヨオー |
生産 | カントリー牧場 |
生国 | 日本(北海道静内町) |
馬主 | 谷水信夫 |
調教師 | 戸山為夫(栗東) |
競走成績 | 30戦9勝 |
獲得賞金 | 7025万8400円 |
タニノハローモアは日本の競走馬。第35回日本ダービー優勝馬である。
[編集] 戦績
2歳時(旧3歳)の8月にデビューしたが、初勝利までに4戦も要し、その後もひと月に1,2走を重ね、東京優駿(日本ダービー)に出走するまで17戦も出走した。これは現在でも、デビューから日本ダービーまでの最多出走数となっている。この17戦の戦績で重賞は勝てなかったものの11月18日のオープンではレコード勝ちを記録し、合計5勝した。
そして皐月賞をマーチスの6着、NHK杯でもマーチスの3着を叩いて東京優駿に出走する、この時は8連敗中だったのが響いたのか9番人気の低評価だった。東京競馬場はマーチス、タケシバオー、アサカオーの3強対決に沸いていたが、3強はお互いに牽制しあいタニノハローモアの逃げ切りを許した。
その後もタニノハローモアは日本ダービーの1か月後の札幌競馬場スタンド増築記念に出走するなど休み無く走り続けた。菊花賞は6着に終わったが、朝日チャレンジカップ、京都杯、中京記念等の重賞を勝っている。
4歳の春に引退し、種牡馬入りしたが目立った産駒を出す事無く、1985年10月15日世を去った。意外な事に、逃げ馬にも関わらず大崩れしたレースが少なく、掲示板を外したのは僅か2戦(皐月賞と菊花賞)だけであった。