ダン池田
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ダン池田(だん いけだ、本名・池田 啓介、1935年4月11日~)は、日本のバンドマスター。 満州出身。
芸名の「ダン」は、生徒会長を務めていた高校時代、好きな女子と手をつなぎたいがためにフォークダンスを開催し、「ダンス」と「啓介」をつなげた「ダン介」というあだ名がついたことに由来するという。
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[編集] 略歴
留萌高等学校を経て長野県松代高等学校卒業、中央大学経済学部中退
[編集] 芸能歴
中央大学在学中からプロのバンド活動を開始。「ダン池田とニューブリード」を率いて、フジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』・夜のヒットスタジオ・FNS歌謡祭・水泳大会などに出演。紅白歌合戦では1972年~84年まで指揮者を務めた。尚、1974年のみは原信夫とシャープス&フラッツが演奏を担当したため、13回紅組の指揮を担当した。
[編集] 引退
1985年3月25日に月曜日放送の1時間版の「夜のヒットスタジオ」が最終回を迎えたのを区切りにバンドマスターを降板。理由は体調面・金銭面などを、原因としている。「夜のヒットスタジオ」が放映時間帯を移動して、2時間の拡大版が決まった時点で降板を決意したとダン池田は述べている。「紅白歌合戦」と「夜のヒットスタジオ」以外の仕事は続けていた池田だったが、同年の11月には、次第にテレビの音楽番組から生演奏がなくなっていく風潮に怒りを込めて、告発本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』(はまの出版)を発刊。自分の1年間の日記をまとめた物だが、ヒットスタジオの司会、井上順・芳村真理をはじめとした、共演タレント達の愚痴や悪口が出てくる内容は話題になり、70万部のベストセラーになったが、暴露本と騒がれ、半ば追放される形で芸能界を引退した。同書発売後のダン池田には単発での仕事しかなくなり、芸能事務所を設立してデュオの演歌歌手をデビューさせたりしたものの失敗。1990年代に入ると芸能界の表舞台に登場する機会は皆無になり、2000年以降は懐かしの映像で「夜のヒットスタジオ」の映像が流れない限り、ダン池田の映像を見る機会がなくなった。2006年現在、1997年に埼玉で開業したダン池田の店でマスターをつとめている。
なおダン池田がバンドマスターを降板した後のニューブリードは、三原綱木(元ブルーコメッツ)がバンドマスターに就任して現在も活躍中である。
[編集] 関連
[編集] 留萌高校吹奏楽部関連
[編集] 留萌高校関連
- トマトキューブ
- 藤田瞳子
[編集] 留萌市関連
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