ディアナ号
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[編集] 概要
この時代のロシアの軍艦ディアナ号は、時期の重ならない2隻があり、(1807年—)の船は、スループ船で1811年に、国後島にて幕府役人に拿捕される。 後者の船は、安政年間に日露和親条約を締結したが、安政東海地震による津波で大破し沈没した。
[編集] 略歴
- ディアナ号1807
- 1807年(文化4年)艦長ヴァーシリー・ゴローニン(Vasily Golovnin, Василий Михайлович Головнин)。スループ船(初代)
- 1811年、千島列島の測量航海を行う、国後島にて幕府役人にゴローニン艦長、拿捕される。
- 1813年、ディアナ号副艦長ピョートル・リコルドの尽力により、ゴローニン開放。
- ディアナ号1953
・・・二代目:フリゲート艦
- 1853年(嘉永6年)、ロシアは、特使としてプチャーチンを長崎に派遣し、通商を求める。ディアナ号は4隻の艦隊の旗艦。
- 1854年(安政元年)、下田沖に停泊中、安政東海地震による津波で大破し宮島村(現、富士市)沖で沈没。
- 日露和親条約