岡部長発
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岡部 長発(おかべ ながゆき、天保5年9月21日(1834年10月23日) - 安政2年2月4日(1855年3月21日))は、和泉岸和田藩の第11代藩主。父は第9代藩主・岡部長慎(長発は六男)。母は側室と言われている。正室は鳥居忠挙の娘。子に長職、娘(六郷政鑑室)。官位は従五位下、美濃守。
天保5年(1834年)9月21日、江戸で生まれる。幼名は武之丞、弥次郎。先代藩主で兄に当たる岡部長和には男児が二人いたが、いずれも早世したため、嘉永2年(1849年)12月10日に兄の養嗣子となり、嘉永3年(1850年)の兄の死去により家督を継いで藩主となった。日光廟の修理、ロシアのエフィム・プチャーチンの軍艦であるディアナ号の岸和田来航に備えるなど、若年ながら藩政に尽力したが、安政2年(1855年)2月4日に22歳の若さで死去した。子に岡部長哉がいたが、幼年であったため、家督は兄の岡部長寛が継いだ。
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