トチノミネフジ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | アングロアラブ |
生誕 | 1990年4月1日 |
死没 | 1996年2月9日 |
父 | シナノリンボー |
母 | カンダサカエ |
生産 | 元茂光春 |
生国 | 日本(北海道三石町) |
馬主 | 早乙女光男 |
調教師 | 小出雄司(宇都宮) →高岩隆(大井) |
競走成績 | 地方19戦17勝 中央1戦0勝 |
獲得賞金 | 2億6550万円 |
トチノミネフジは、日本のアングロアラブ競走馬である。アラブ血量28.47%。
南関東地方競馬におけるアングロアラブ競走の末期を代表する競走馬で、最後の南関東アラブ三冠馬。1993年度NARグランプリアラブ系年度代表馬、1994年度のNARグランプリ年度代表馬。
1992年8月に地方競馬の宇都宮競馬場でデビュー。3戦(2勝)した後に大井競馬場へ移籍。以後連勝を重ね、1994年に南関東アラブ三冠、さらには全日本アラブ大賞典を優勝した。その後もオールカマー重賞の報知グランプリカップやオープン競走(隅田川賞)などではサラブレッドと対戦して破るなど、1994年5月に13連勝を達成。同年6月には中央競馬所属のサラブレッドと対戦するべく吾妻小富士オープンに出走したが11着に敗れた。
だが、南関東に転じて以降の敗戦は、不慣れな芝コースと輸送後の競馬の上にサラブレッド相手であった吾妻小富士オープンと、やはりサラブレッド相手に惜しくも2着惜敗の東京盃だけである。しかも、東京盃で敗れたサクラハイスピードについては以前の報知グランプリCでは逆に破るなど事実上互角の戦いをしており、1994年のトチノミネフジはサラブレッドも含めての南関東最強馬の頂点の一角として君臨し続けた。
同年12月に全日本アラブ大賞典に優勝し同レース2連覇を達成したのを最後に競走馬を引退。全日本アラブ大賞典で2年連続で繰り広げられた笠松の女傑スズノキャスターとの激突は、南関アラブの伝説的なレースとして、アラブ系競走が無くなった現在でも語られる。
競走馬引退後は種牡馬となったが、産駒はわずか一世代を残したのみで、1996年2月9日に小腸の腫瘍が原因で病死した。
なおトチノミネフジのサイアーラインの血統はエクリプス系であるが、そのなかでもジョーアンドリュース系という傍系血統だった。このジョーアンドリュース系のサイアーラインはサラブレッドでは現在では既に消滅していて、アングロアラブでもかなり少数になっている。ダーレイアラビアンからサイアーラインを書き起こせば以下のようになる。
- Darley Arabian 1700
- |Bartlet's Childers 1716
- |Squirt 1732
- |Marske 1750
- |Eclipse 1764 エクリプス系
- |Joe Andrews 1778 ↓ジョーアンドリュース系
- |Dick Andrews 1797
- |Tramp 1810
- |Lottery 1820
- |Sheet Anchor 1832
- |Wheatherbit 1842
- |Beadsman 1855
- |Rosicrucian 1865
- |Beauclerc 1875
- |Tyrant 1885
- |Masque 1894
- |Vinicius 1900
- |Comtat1912 ↑ここまでサラブレッド
- |*バラツケーBarraques 1927 ↓ここからアングロアラブ
- |ミネフジ 1947
- |タガミホマレ 1962
- |シナノリンボー 1975
- |トチノミネフジ 1990