トマス・ホッブズ
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トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588年4月5日 - 1679年12月4日)は、イングランドの政治哲学者。近代政治思想を基礎付けた人物。
イングランド国教会の聖職者の子として生まれる。1588年、スペインの無敵艦隊襲来というニュースにショックを受けた母親は産気づき、予定より早く出産した。このため「恐怖と共に生まれた」といわれる。オックスフォード大学を卒業した後、キャヴェンディッシュ男爵家(のちのデヴォンジャー伯爵家)に家庭教師として仕える。ピューリタン革命で1640年からフランスへ亡命し、皇太子(チャールズ2世)の家庭教師を務める。最もよく知られる著作『リヴァイアサン』は亡命中に執筆し、1651年帰国の年に刊行された。ベーコンやガリレオ、デカルトらと交友があった。
1655年に円積問題の解を見つけたと公表し、数学者のジョン・ウォリスとの論争に発展した。ホッブズは終始この問題の本質を理解することができず、自分の解の誤りを認識できずに死ぬまで激しい論争を続けた。
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[編集] 年譜
- 1588年 - 4月5日ウィルトシャー州マームズベリー近郊のウェストポートにて、国教会牧師トマス・ホッブズの次男として誕生
- 1592年 - ウェストポートの教会学校入学
- 1600年 - 父の死に伴って叔父フランシス・ホッブズに引き取られる。ロバート・ラティマーの私立学校に入学
- 1603年 - オックスフォード大学入学
- 1608年 - 2月5日オックスフォード大学卒業。ウィリアム2世・キャヴェンデッシュ(2代目デヴォンジャー伯)の家庭教師となる
- 1620年 - ベーコンの助手として彼の口述筆記をしたり、著作をラテン語に訳したりする
- 1629年 - 自身の手によるトゥキュディデスの『歴史』の翻訳を公表
- 1631年 - ウィリアム3世・キャヴェンデッシュ(3代目デヴォンジャー伯)の家庭教師となる
- 1636年 - ガリレオを訪問
- 1637年 - 感覚についての『小論文 Little Treatise』発表
- 1640年 - 5月9日『法学原理 The Elements of Law』発表。短期議会(4月13日 - 5月5日)の進展に伴ってイングランド内の政情が不安定化したため、パリへ亡命
- 1642年 - 『市民論 De Cive』を匿名で発表
- 1645年 - イングランド王太子(のちのチャールズ2世)パリに亡命。ホッブズが彼の数学教師となる
- 1647年 - ホッブズ、イギリス国教会の洗礼を受ける
- 1651年 - 『リヴァイアサン』を出版
- 1655年 - 『物体論 De Corpore』を出版
- 1656年 - 『自由、必然、偶然に関する諸問題』を発表
- 1658年 - 『人間論 De Hormine』を出版
- 1668年 - 『ビヒモス Behemoth』を出版
- 1674年 - 『イリアス』と『オデュッセイア』の翻訳を発表
- 1679年 - 12月4日死去。享年91
[編集] 人工的な国家理論
『リヴァイアサン』は彼の代表的な著作であり、17世紀ヨーロッパにおける国家理論の白眉である。この著作によって、同時代の王党派からは無神論者であるとされ、共和派からは専制政治擁護者と見られた。現代に至るまでホッブズの評価は屈折しており、相反する立場から全く異なったホッブズ観が提示されている。
[編集] 概要
この著作において、ホッブズは人間の自然状態を闘争状態にあると規定する。彼はまず生物一般の生命活動の根元を自己保存の本能とする。そのうえで人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。理性はその予見的な性格から、現在の自己保存を未来の自己保存の予見から導く。これは現在ある食料などの資源に対する無限の欲望という形になる。なぜなら、人間以外の動物は自己保存の予見ができないから、生命の危険がおびやかされたときだけ自己保存を考える。ところが人間は未来の自己保存について予見できるから、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする。この優位は相対的なものであるから、際限がなく、これを求めることはすなわち無限の欲望である。しかし自然世界の資源は有限であるため、無限の欲望は満たされることがない。人はそれを理性により予見しているから、限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争うことになる。またこの争いに実力での決着はつかない。なぜならホッブズにおいては個人の実力差は他人を服従させることが出来るほど決定的ではないからである。これがホッブズのいう「万人は万人に対して狼」、「万人の万人に対する戦い」である。
ホッブズにおいて自己保存のために暴力を用いるなど積極的手段に出ることは自然権として善悪以前に肯定される。ところで自己保存の本能が忌避するのは死、とりわけ他人の暴力による死である。この他人の暴力は他人の自然権に由来するものであるから、ここに自然権の矛盾が明らかになる。そのため理性の予見は、各自の自然権を制限せよという自然法を導く。自然法に従って人々は、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを契約する。だが、この契約は自己保存の放棄でもその手段としての暴力の放棄でもない。自然権を委ねるとは、自然権の判断すなわち理性を委ねることである。ホッブズにおいては主権は第一義的に国家理性なのである。また以上のことから明らかなように、自然状態では自然法は貫徹されていないと考えられている。
[編集] その影響と解釈
ホッブズが展開した国家理論は自然状態を想定し、そこから人工的に国家モデルを作り上げたという点で近代国家理論のさきがけであった。このように自然状態を措定し、現実の国家社会との間に契約という飛躍を設定する理論は社会契約論と呼ばれている。このことはホッブズ以前の社会契約が既成国家の説明原理にとどまり、基本的に支配=服従契約と見ているのに対し、平等な個人間の社会契約による国家形成という新しい視点を開いた。またこのような社会契約の要因として人間の自然理性を重視していることから、啓蒙主義的な国家理論であるということができる。ホッブズの理論を批判的に継承したのはロックとルソーであるが、両者とホッブズの決定的な違いは、ホッブズが自然状態において自然法が不完全であるとするのに対し、両者は自然状態においてすでに自然法が貫徹されていると想定していることである。
このホッブズの政治理論の性格および歴史的意義については現在4つの主要な解釈がある。
- 絶対主義の政治理論説 - 以下の三点を主要な根拠としてホッブズの政治理論が絶対主義王政を支持するものであるとする説。ホッブズが社会契約を服従契約をみなしていること。主権者が一者であり、主権が国家理性であること。主権者が国内の宗教を含めてあらゆる国内的、国際的政策を統制できるとしていること。
- 近代的政治理論説 - 以下の二点を主要な根拠としてホッブズの政治理論が近代的で民主主義的な国家理論であるとする説。無神論的、唯物論的世界観、また理性主義に基づく平等思想を唱えていること。分析的に導き出したアトム的人間から構成的に人工の国家を導き出すという科学的手法をとっていること。
- 伝統的政治理論説 - 以下の二点を根拠としてホッブズの政治理論が伝統的なキリスト教倫理思想にのっとっているとする説。ホッブズの自然法思想がデカルト思想に影響される前からすでに形成されていたこと。ホッブズの宗教に対する言及が、無神論的立場ではなく信仰によっていると考えられること。
- 自然状態的政治理論説 - 以下の二点を根拠としてホッブズの政治理論が究極的に自然状態の理論であり、闘争の政治理論であるとする説。自然法が個人規模での闘争を止揚して国家規模の闘争を導いているにすぎず、本質的に闘争状態であることが変わっていないこと。国家状態が自然法に基づくとされていること。
このなかで1.と2.の見方が古典的で、現在でも有力な説である。
[編集] 参考文献
- 福田歓一著「ホッブズにおける近代政治理論の形成」(『福田歓一著作集 第一巻』所収)、岩波書店、1998年
- 福田歓一著「近代政治原理成立史序説」(『福田歓一著作集 第二巻』所収)、岩波書店、1998年
- 福田歓一著『政治学史』東京大学出版会、1985年
- 長尾龍一著『リヴァイアサン--近代国家の思想と歴史』講談社学術文庫、1994年
- 長尾龍一著『争う神々』信山社叢書、1998年
- 長尾龍一著『法哲学批判』信山社叢書、1999年
- 永井道雄編『世界の名著28 ホッブズ』中公バックス、1979年
- レオ・シュトラウス著、添谷育志ら訳『ホッブズの政治学』みすず書房、1990年
- 量義治著『西洋近世哲学史』講談社学術文庫、2005年