国家
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国家(こっか)は、一定の土地または領域と人民とに排他的な統治権を有する集団もしくは共同体のこと。マックス・ウェーバーによれば主権的・領土的「支配団体」。
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[編集] 国家の語源
漢語における「国家」は、諸侯が治める国と卿大夫が治める家との総称で、特定の境界を持つ支配地・支配民を意味した。対語は、いかなる限定もされない支配地と支配民、つまり「天下」である。支配機構を出発点にする方向性は西欧の国家概念と同じだが、支配の対象である土地と人民を含む点で、微妙なニュアンスの違いを持つ。西欧語と同じく支配機構に限って論じる場合も多いが、日本産の政治思想では(上から統制することに重点をおきつつも)政治共同体として国家を扱うことも多い。
西欧各言語の語源はラテン語の「status(スタトゥス)」である。イタリア語の「stato」は「状態」という意味だが、マキャベリが、lo stato「かかる(その、こうした)状態」を 「現在の支配体制」という意味に転用して今日の内容を持つようになった。
日本語においては、国と同義にも用いられる。この場合、一定の領域内に住む人間集団が作る政治的共同社会を指す。通常国民と訳される「nation」は、団体的側面を強調したり、他「nation」との関係を強調したりする文脈で用いられるときには「国家」と訳すことがある。
[編集] 国家の概念
マキャベリは、政治共同体がはじめにあり、次いでそれに対応した支配機構が作られるというそれまでの政治思想の想定を、近世ヨーロッパの現実に即して逆転させた。マキャベリは「君主論」において「国家」における君主の有様を論じ、「政略論」においてローマ史に即して共和制国家における国民について論じた。まず支配機構たる「国家」があり、それが各々の力に応じて土地と人民を領有する。
このようにして、政治共同体の要素をそぎ落として把握した支配機構が「国家」である。
[編集] 国家の起源
国家の起源には諸説あり、定説はないと言っていい。それは国家が、特に現代においては、多様であり、ひとつのモデルで説明しきれないことを表している。しかし、国家を静態的ではなく、動態的に捉えることは非常に重要である。動態的な国家起源のモデルを設定してそれを理念型とすることで、多様な国家の成り立ちをよりよく理解することができるようになるからである。
国家起源の動態モデルとして最も有用なのがカール・ドイッチュの説である。
ドイッチュは国家の起源を社会的コミュニケーションの連続性から説明する。彼によれば、国民(nation)とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物である。すなわち、第1に、財貨・資本・労働の移動に関するものである。第2に、情報に関するものである。西欧における資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイッチュはこれを経済社会(society)と呼ぶ。また同時に、言語と文化(行動様式・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイッチュはこれを文化情報共同体(community)と呼ぶ。日本のように経済社会と文化情報共同体が重なり合う例も存在するが、この2つは必ずしも重なり合うとは限らない。現在でも、複数国家で共通の言語が使われている例は珍しくない。一定の地域である程度のコミュニケーション密度が長期間継続すると、そこは「くに」(country)となる。そして、そこに住む人たちが「民族」(people)と呼ばれるようになる。この「民族」(people)が自分たち独自の政府(government)つまり統治機構(state)を持ちたいと考えた瞬間に「民族」peopleは「国民」(nation)となるのである。people、nationをともに「民族」と訳さざるをえない場合があるのは日本語の社会科学概念の貧困に由来する。ちなみに、民族自決を英語でself-determination of peoplesというのは以上のような思考過程を表すものと考えられる。
こうした「民族」(natoin)あるいは「国民」(nation)が実際に政府を樹立し成立するのが「国民国家」nation-stateなのである。
現代における国家は必ずしもこうした理念型に合致するものではない。まともなコミュニケーションの進展も存在せず、それ故、「国民」(nation)と呼べる実体が全く不在の場所に国家(state)だけが存在するという場合もあれば、ひとつの国家(state)の中に異なる政府の樹立を求める民族(nation)が複数存在する場合もある。ヨーロッパにおいては、これまでの国民国家(nation-state)を包括するような大きな主体の出現が議論されている。それに対して、さらに細分化された民族peopleが自らの政府の樹立を望んで国民nationとなろうとしているようにも見える地域も無数に存在している。こうしたことはEUの発展するヨーロッパにおいても見られる。
静態的な国家論だけでは国家を捉え切ることは非常に困難であると考えられる。
参考文献 Karl W. Deutsch, Nationalism and Social Communication, The M.I.T. Press, 1966
[編集] 法学上の定義
法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。
[編集] 国家の三要素
- 領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
- 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
- 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souverän)なければならない。
このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。
[編集] 現代的な基準外の国家
なお、以上のような要件を満たさない支配機構や政治共同体も存在しうる。上記の国家は近代の歴史的産物(近代国家も参照)であり、それ以前には存在しなかった。例えば前近代社会において、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。こうした国家体制を社団国家と称し、日本の幕藩体制やフランスのアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。
こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代の琉球王国が日本と中華帝国(明もしくは清)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。
さらに権力に関しても、幕藩体制における各藩が独自の軍事機構を持ち、幕府の藩内内政への干渉権が大幅に制限されていたように、決して主権的ではなかった。
現代社会において近代国家の表看板を掲げていても、アフガニスタンのように内部の実情は複数の自立的共同体が必ずしも国家機構の主権下に服さずに国家体制の構成要素となっている国家は存続している。今日の国際関係は、近代的主権国家間の関係を前提として成立しており、こうした国家の存在は様々な紛争の火種を内包している。さらに、この問題は同時に、近代的主権国家の歴史的な特殊性の問題点を投げかけているともいえる。
国家と対立する、テロまたはテロ国家の概念が、イラク戦争や、アメリカ同時爆破テロ以降問題になりつつある。
[編集] 社会学的な定義
社会学における国家の定義は法学や政治学とは異なり、国家の権力の中身ではなく、あくまでその形式のほうに向けられている。社会学的な国家の定義でもっとも代表的なものがマックス・ウェーバーによるものである。彼によると、国家とは①統治を専門とする職業集団(議員や官僚)によって構成され、②「正当な物理的暴力を独占」する統治組織であるというものである。以降の社会学の国家論においても、基本的にはこうした定義を掘り下げる方向で議論されており、特に国家間の軍事競争の高まりによる資源動員の集権化、産業化や情報メディアの発達、革命など政治的権利を求める民主主義的な運動といった、「近代化」の歴史プロセスに焦点が当てられている。①と②の定義のより具体的な中身を以下に説明しておく。
①王国や帝国といった近代以前の国家は、、直接的に統治する範囲が狭く、国家を運営することとは臣下や親族との信頼関係を維持することとは明確に区別されていなかった。しかし、近代になって国家間戦争の規模と頻度が高まり、また資本主義の発達と産業化によって社会も大規模に組織化されてくようになると、国家が対応すべき支配領域も大きく広がり、以前のように一人の権威者を中心にした支配・服従関係による国家の運営は不可能になる。そこで、国家という統治組織を運営するためには、国王の個人的な権威のかわりに単一の法律が、臣下・親族のかわりに専門的な官僚組織が必要となり、国家の統治対象となる領域が独立した「社会(市民社会)」として把握されるようになる。
②国王や皇帝の臣下とその親族によって構成される近代以前の国家は、ほとんどの村落や地域の共同体に対しては基本的に無関心であった。しかし、国家間戦争の増大が国家に対する戦費のための財政圧力を高めると、それまで国家に無関係だった村落や地域の共同体にも徴兵や徴税による資源動員の権力が直接的に介入するようになり、それを維持するために軍事権力や警察権力が国家に集中化していく。こうした集中化は、住民の社会生活全般に対する国家の責任と役割が増大することをも意味するものなので、国家は選挙制度や福祉制度を構築することで住民の意志や利害関心をくみ上げ、それによって資源動員に対する支持と合意を確保しようとする。そのように国家が住民の社会生活に直接的にかかわるようになると、住民は「国民(nation)」という国家の正式なメンバーとして定義されるようになる。
近年は、強力な官僚制と「物理的暴力の独占」を強調するというウェーバーの議論に対して、そもそも国家はそのように堅固な統一性をもった統治組織なのではなく、民意や社会の変動の前に不安定で不統一的なものであるという説明がなされることもある。現代社会を批評する議論の中には、国民国家が既に無意味になってしまったかのように語られることもあるが、社会学の国家論ではほとんど否定されている。