ニューブリテン島
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ニューブリテン島( -とう、 New Britain )は、南太平洋のメラネシアに属する、ビスマルク諸島の最大の島である。全島パプアニューギニアに属し、東ニューブリテン州と西ニューブリテン州に分かれる。最大都市はラバウル。最高峰は2284mのファーザー山。面積36,514km²で、世界第37位(36位の九州とほぼ同じ大きさ)。熱帯雨林に覆われ、火山活動が盛んであり、ラバウルは1990年代に大きな火山被害を受けている。
1700年2月27日、ウィリアム・ダンピアがヨーロッパ人としてはじめて到達した。彼はこの島をラテン語でノヴァ・ブリタニアと名づけた。ドイツは1884年から1914年までの間、ニューギニア島北東部とビスマルク諸島を含む周囲の島々をドイツ領ニューギニアとして支配し、植民地当局はこの島をノイ・ポンメルン(Neupommern 新しいポンメルン)と名づけていた。1914年9月11日、ノイ・ポンメルンにはオーストラリア陸海軍遠征部隊が上陸し、第一次世界大戦の最初期の戦闘の舞台になった。
同年オーストラリア軍がドイツ領ニューギニアを占領し、1919年のヴェルサイユ条約以降はオーストラリアによる国際連盟委任統治領となった。なお、オーストラリアによる占領初期、占領当局はドイツ領ニューギニアやドイツ領マーシャル諸島の切手に「G.R.I」(Georgius Rex Imperator の略、大英帝国皇帝にして王のジョージ5世を意味する)と上から印刷して臨時に流通させていたが、これは後に切手市場で非常に高値で取引されている。
第二次世界大戦中は日本軍が占領し、ソロモン諸島方面進出の拠点としたが、連合軍はこの島を迂回して日本本土に向かい、大きな上陸戦は行われなかった。後にオーストラリアの統治下の「パプアおよびニューギニア」の一部となるが、1975年にオーストラリアから独立した。
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