ノエル・カワード
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ノエル・カワード (Sir Noel Coward, 1899年12月16日 - 1973年3月26日)は、イギリスの俳優・作家・脚本家・演出家。作詞・作曲、映画監督もしている。
ミドルセックス州テッディントン生まれ。父親はピアノのセールスマンだった。1910年に子役で初舞台を踏んだ。第一次世界大戦後のイギリスにも登場したジャズ・エイジの風潮のなか、中流階級の移ろいやすい、気ままな生活や、男女関係がくるくる入れ替わる恋愛ゲームなど、おしゃれでウィットに富んだ作品で人気を得た。長く続いたヴィクトリア朝の厳格な雰囲気に飽き飽きしていた若い世代は、熱狂的に彼の作品を支持した。
「人生はうわべだけのパーティー」と考える彼は、真剣に人を愛したり、真剣に国を愛したり、真剣に人生に悩んだりすることを極端に嫌った。シリアスな人生劇より、洗練された喜劇を好んだ。
1920年代のファッションに大きな影響を与えた。首にスカーフをまくことや、タートルネックセーターは1924年の舞台「ヴォルテックス」で彼が初めて身につけた。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に決まった時、まずカワードのところにファッションの相談に行ったという。
交友関係が広く、ガートルード・ローレンス、チャップリン、マレーネ・ディートリヒらと親交があった。首相になる前から、ウィンストン・チャーチルとはしばしば写生に行く絵描き仲間だった。第二次世界大戦が始まると、「戦争は憎しみの舞台。芝居という魅力の舞台に立つ者には最も不向きなものだ。」とカワードは発言し、戦争支持の風潮に背を向けた。そのため、非国民のレッテルを張られ批判された。その時、チャーチルは「あんなやつ、戦場に行っても役に立たない。一人ぐらい恋だ愛だと歌っているヤツがいてもいい。」と旧友を弁護した。
第二次大戦後、新作は発表するものの、徐々にペースが鈍り、現役を退いていった。1950年代に入ると、イギリスの税金の高さに嫌気がさし、バミューダ島に移住した。冷戦のさなかであり、友人に「現代という時代が嫌いになった。」と漏らしていた。
1970年にサーの称号を受けた。晩年はスイスとバミューダを行き来する生活を楽しみ、イギリスへ戻らなかった。1973年、心臓麻痺で、バミューダの自宅で死去。一生独身だった。
[編集] 主な作品
- 「新思想」(1921年)
- 「ヴォルテックス」(1924年)
- 「落ちた天使」(1925年)
- 「枯草熱」(1925年)
- 「熱風」(1927年)
- 「ほろにが人生」(1929年)
- 「私生活」(1930年)
- 「騎馬隊」(1931年)
- 「今宵八時半」(1936年)
- 「陽気な幽霊」(1941年)
- 「幸福な種族」(1942年)
- 「ヴァイオリンを持った裸婦」(1956年)
[編集] 主な映画出演作品
- 「八十日間世界一周」(1956年)
- 「ハバナの男」(1960年)
- 「夕なぎ」(1968年)