ハイペリオン (競走馬)
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1930年4月18日 |
死没 | 1960年12月9日 |
父 | ゲインズバラ |
母 | シリーニ |
生産 | 第17代 ダービー伯爵 |
生国 | イギリス |
馬主 | 第17代ダービー伯爵 |
調教師 | ジョージ・ランプタン →コリッジ・リーダー |
競走成績 | 13戦9勝 |
獲得賞金 | 29,509ポンド |
ハイペリオン(Hyperion)は、イギリスの競走馬・種牡馬。1934年にエプソムダービー、セントレジャーステークスを制し、種牡馬としても合計6回イギリスのリーディングサイアーになる成功を収めた。数々の名馬を生産した第17代ダービー伯爵、エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリーの最高傑作である。
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[編集] 出自
父ゲインズバラは1918年のイギリス戦時クラシック三冠馬、母セレーネはチョーサー産駒の一流馬で、小柄だったためクラシックには登録されなかったが、22戦16勝の成績を残した。セレーネはハイペリオンの半弟(父が違う弟)にシックル、ファラモンド等の重要馬を輩出している。
血統的にはともに気性難として知られるセントサイモンとその父ガロピンの奇跡の血量(血量が18.75%になるインブリード)を持っていたが、非常に温和な性格だったと伝えられている。ただ、自分の気に入らないことがあると頑なにそれを拒み、その場から動かなくなることもあった。これはレースにも影響し、走る気のない時は凡走した。
ハイペリオンは母の小柄な馬体を受け継ぎ体高が14.5ハンド(約147cm)しかなく、ポニーと同じくらいの体高しかなかった。これはこの時代の標準的な体高16ハンド(約163cm)より1割も低く、飼い葉桶にクビを届かせるのが大変だったという話が残っている。成長してからも15ハンド(約152.4cm)を少し越えるぐらいであった。
[編集] 戦績
ハイペリオンは、数々の名馬を生産した名馬産家であるエドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリー(第17代ダービー伯爵)の最高傑作に相応しくエプソムダービー、セントレジャーステークスを余裕の走りで圧勝した。その戦跡は以下のようなものである。
2歳時になると名調教師ジョージ・ランプタンの手ほどきを受けた。すでに素質の片鱗を見せてはいたが、調教ではやる気のない動きを見せていた。そこで調教代わりにゼトランドメイドンプレートというレースでデビューさせ、ここで4着に負けた。このレースで調子が一変し、次走のニューステークスでは実績馬相手に3馬身差で初勝利を飾った。だが、やる気のない時は走らないというのはこの後も続き、3戦目のプリンスオブウェールズステークスはステアウェイの同着、ボスコーエンステークスは8馬身差の3着と凡走している。この後デューハーストステークスを快勝し、シーズンを終えている。
3歳になったハイペリオンは距離の短い2000ギニーを回避し、チェスターヴァーズを叩いてエプソムダービーに向かった。エプソムダービーでは最有力候補であったが、調教ではさっぱり走らなかったので、一番人気とはいっても7.0倍と人気は割れていた。レースではハイペリオンのペースメーカー、スラプストンに騎乗していた名騎手スティーヴ・ドナハーの刻む絶妙なペース配分によって理想的なレース運びで、4馬身差をつけ2分34秒のレコードで楽勝した。プリンスオブウェールズステークス(2歳時のレースとは別)を2馬身差で勝ったが、秋に向けて脚に軽い問題を抱えたが、それも癒えたセントレジャーステークスでは二冠を達成した。
4歳時には調教師がコリッジ・リーダーに代わった。これはダービー伯爵がジョージ・ランプタン調教師に楽な老後を送らせたかったからとされる。コリッジ・リーダーも優秀な人材ではあったが、ハイペリオンとは相性が悪く思うように成績を残せなかった。マーチステークスとバーウェルステークスを僅差で勝ち、アスコットゴールドカップに向かったが、セントレジャーステークスで破ったフェリシテイションの3着に敗れてしまった。ダリンガムステークスも2着に敗れ、このレースを最後に引退が決定された。
[編集] 年度別競走成績
1932年(5戦3勝)
- 1着 - デュハーストステークス、プリンスオブウェールズステークス
1932年(4戦4勝)
- 1着 - エプソムダービー、セントレジャーステークス、チェスターヴァーズ、プリンスオブウェールズステークス
1932年(4戦2勝)
- 3着 - アスコットゴールドカップ
[編集] 引退後
種牡馬入り後の実績はハイペリオンの名声をさらに高めることになった。エプソムダービーとゴールドカップに勝ったオーエンテューダーやアメリカクラシック二冠馬ペンシヴ、イギリス牝馬クラシック三冠馬のサンチャリオット等を輩出し1940-42,45,46,54年の6度イギリスのリーディングサイアーになった。子孫は大いに繁栄しハイペリオン系を築き上げたが、その後のノーザンダンサー系等の台頭等の影響もあって衰退した。(子孫についての詳細はハイペリオン系を参照されたい)
ハイペリオン自身は1960年12月9日に30歳で死亡した。
[編集] 主な産駒
- オーエンテューダー(Owen Tudor) エプソムダービー、ゴールドカップ
- ペンシヴ(Pensive) ケンタッキーダービー、プリークネスステークス
- サンチャリオット(Sun Chariot) 1000ギニー、オークス、セントレジャーステークス
- オリオール(Aureole) キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス
- ゴダイバ(Godiva) 1000ギニー、オークス
- サンストリーム(Sun Stream) 1000ギニー、オークス
- ソールオリエンス(Sol Oriens) エプソムダービー
- ハイシラ(Hycilla) オークス
- ハイペリカム(Hypericum) 1000ギニー
[編集] 兄弟
母シリーニは11戦8勝。繁殖牝馬としても優秀でハイペリオン以外に以下の産駒を送り出している。
- シックル(Sickle 1924) アメリカリーディングサイアー
- ファラモンド(Pharamond 1925) ミドルパークステークス
- ハンターズムーン(Hunter's Moon 1926) ニューマーケットステークス
- ナイトシフト(Night Shift 1936) ヨークシャーオークス
- オールムーンシャイン(All Moonshine 1941) ボブスレーハウリーステークス
[編集] 血統表
ハイペリオンの血統 (ゲインズバラ系(タッチストン系)/St.Simon4×3=18.75% Galopin 6.4.5×4.6=18.75%) | |||
父
Gainsborough 1915 鹿毛 イギリス |
Bayardo 1906 鹿毛 |
Bay Ronald | Hampton |
Black Duchess | |||
Galicia | Galopin | ||
Isoletta | |||
Rosedrop 1907 黒鹿毛 |
St.Frusquin | St.Simon | |
Isabel | |||
Rosaline | Trenton | ||
Rosalys | |||
母
Selene 1919 鹿毛 |
Chaucer 1900 黒鹿毛 |
St.Simon | Galopin |
St.Angela | |||
Canterbury Pilgrim | Tristan | ||
Pilgrimage | |||
Serenissima 1913 鹿毛 |
Minoru | Cyllene | |
Mother Siegel | |||
Gondlette | Loved One | ||
Donogola F-No.6-e |
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