ハラルド・シューマッハ
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ハラルド・シューマッハ(Harald Anton Schumacher)は、ドイツのサッカー選手。ポジションはGK。愛称はトニー(Toni)。
80年代を代表するGKのうちの一人で、長く西ドイツ代表のゴールマウスを死守した。ワールドカップメキシコ大会では、カール・ハインツ・ルンメニゲが出場していないゲームでキャプテンを務めた(またベストイレブンにも選出された)。プレースタイルは一言で言って「超攻撃的」。積極的にゴールエリアを飛び出し、相手選手の懐に飛び込むような荒っぽいプレーも持さない。その代表的なプレーがいまでも語り草となっているワールドカップスペイン大会での、フランス戦でバチストンのへのラフプレーであろう。
しかし荒っぽいだけではもちろんなく、GKとして必要なスキルをすべて兼ね備えていた。ポジショニング・キャッチングに秀で、またPKも得意であった。日本人2人目のプロサッカー選手であった奥寺康彦氏が、ブンデスリーガの1.FCケルン(フィアスタエフツェーケルン)デビュー戦で、いきなりPKをとられ、「これで自分は首だ」と思った次の瞬間、シューマッハがPKをストップ。この出来事が奥寺の「東洋のコンピュータ」実現に一役買っている。また、先のスペイン大会の対フランス戦では、ワールドカップ史上初のPK戦に突入したが、この場面においてもPKをストップしている。 メキシコ大会では「神の手」「伝説の5人抜き」で話題をさらったマラドーナのアルゼンチンと決勝で激突。しかし、フリーキック時の目測ミス、3失点目のポジショニングにおいて軽率なミスがあり、悔いの残る準優勝となった。
また、当時の西ドイツサッカー事情をとりあげた内部告発(?)本(開始の笛)で、協会を強烈に批判。その事によってドイツ国内から締め出されてしまうが、その後協会と和解。代表のコーチも務めた。
[編集] 代表歴
- ポジション GK
- 身長/体重 186cm/78kg
- 代表デビュー:1979/5/26
- 代表歴:通算76試合出場,0得点
[編集] 所属クラブ
- 1.FCケルン(ドイツ)1972-1987
- シャルケ04(ドイツ)1987-1988
- フェネルバフチェ(トルコ)1988-1991
- バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)1991-1992
[編集] 日本での知名度
F1ドライバーのミハエル・シューマッハ活躍以前は、単に「シューマッハ(シューマッハー)」といえば、ハラルド・シューマッハを指すことが暗黙の了解であった。
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