バリ島沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バリ島沖海戦 | |||
---|---|---|---|
戦争: 太平洋戦争 | |||
年月日: 1942年2月20日 | |||
場所: バリ島沖 | |||
結果: 日本の勝利 | |||
交戦勢力 | |||
大日本帝国 | アメリカ合衆国 オランダ イギリス |
||
指揮官 | |||
阿部俊雄大佐 | カレル・ドールマン少将 | ||
戦力 | |||
駆逐艦4 | 軽巡洋艦3、駆逐艦7 | ||
損害 | |||
駆逐艦1大破、2小破1 | 駆逐艦1沈没、軽巡洋艦1中破、駆逐艦1小破 | ||
|
バリ島沖海戦(1942年2月20日)とは太平洋戦争中の海戦。連合軍艦隊が日本軍のバリ島攻略部隊を攻撃したが撃退された。
[編集] 海戦前
日本軍はジャワ島攻略のための飛行場確保のため、バリ島の攻略を決めた。攻略に当たるのは今村亦兵衛少佐指揮の部隊であり、2月18日、この部隊を乗せた輸送船は第八駆逐隊(阿部俊雄大佐)所属の駆逐艦「大潮」、「朝潮」、「満潮」に護衛され、マカッサル泊地を出航した。途中で「荒潮」と合流し、19日0015にバリ島サヌール泊地に進入して上陸した。上陸に対して抵抗はなく、未明には部隊は飛行場を占領した。
一方、連合軍はこの部隊を発見し、カレル・ドールマン少将指揮の艦隊(軽巡「デ・ロイテル」、「ジャワ」、「トロンプ」、駆逐艦「フォード」、「ポープ」、「スチュワート」、「パロット」、「エドワーズ」、「ピルスベリー」、「ピートハイン」)がバリ島沖のバドゥン海峡へ向かった。
[編集] 海戦
サヌール泊地を出航しようとしていた「朝潮」が「デ・ロイテル」、「ジャワ」を発見。20日0000頃2隻の軽巡は「朝潮」に対し砲撃を開始した。「朝潮」も反撃したが、出航直後で速度が上がらず見失った。先に出航していた「大潮」は「デ・ロイテル」、「ジャワ」に対し砲撃を開始し、この2隻は離脱した。さらに、後続の「ピートハイン」に対し魚雷を発射し、これを撃沈した。
「デ・ロイテル」、「ジャワ」の2隻を追撃した「朝潮」、「大潮」は数分後「フォード」、「ポープ」を発見、交戦した。「フォード」、「ポープ」は離脱した。
0310、「大潮」と「朝潮」が連合軍艦隊(「トロンプ」、駆逐艦4隻からなる)を発見し攻撃を開始したが、連合軍艦隊がバリ島の影に隠れたため見失った。0341、「大潮」、「朝潮」は「トロンプ」を発見し交戦。「大潮」、「トロンプ」が損傷した。
戦場に向かっていた「荒潮」、「満潮」は「スチュワート」、「エドワーズ」と遭遇。0347に交戦を開始した。この戦闘で「満潮」が大破、「スチュワート」が小破した。
この後、連合軍艦隊は戦場を離脱し、海戦は終了した。
[編集] 結果
連合軍は戦力的には優勢であったが、多国籍艦隊のため連携がうまくいかず、日本軍に撃退され攻撃は失敗に終わった。