パラマーラ朝
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パラマーラ朝は、10世紀後半頃?~13世紀末まで北インド、ナルマダー川北岸、現マディヤ・プラデーシュ州の西部、マールワ地方に割拠したラージプートの王朝。
プラティハーラ朝がラーシュトラクータ朝に敗れると独立した。プラティハーラ朝やラーシュトラクータ朝とも争い続け、首都ダーラを占領されることもあった。973年に、ラーシュトラクータ朝へ侵入したことが、カリヤーニのチャールキヤ朝の建国者タイラ2世が立ち上がる契機をつくった。ラージャ・ボージャ(位1010年?1018年?~1055年)のころが全盛で、現在は、1457年にKamal Maula Masjidとしてイスラム教の施設として大改装を行われているが、その前身建築として、ボージュシャラを建設したことで知られる。これは、川の女神サラスヴァティーを祠るもので、当時の遺構とされる井戸が今もモゥラーナー・カマルアッディーンの墓の近くに残り、アッカル・クイ(知識の井戸)と呼ばれている。また、他にもいくつかのサンスクリット碑文が発見されている。 13世紀にはいっても国力を維持し続け、奴隷王朝の2代目のスルタン、イルトゥトゥミシュの1226年頃の攻撃を撃退した。しかし、ハルジー朝に代ると、アラーウッディーン・ハルジーの強力な軍隊よる1299年~1303年のラージプート遠征で滅ぼされた。