パヴレ・ユリシッチ=シュトゥルム
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パヴレ・ユリシッチ=シュトゥルム(Павле Юришич-Штурм、1848年8月22日 - 1922年1月14日)は、セルビアの軍人。
ゲルリツェ出身。プロシアの中学校で学び、少尉としてドイツ軍に勤務。1876年、少尉としてセルビア軍に入隊し、同年の戦争において、2級大隊を指揮した。1877年~1878年の露土戦争時、義勇連隊、クライナ混成連隊を指揮。1885年のセルビア・ブルガリア戦争時、第6連隊長。1887年~1897年、連隊長、1897年から師団長補佐官。1898年~1900年、1903年~1906年、師団区司令官。1900年8月から1903年7月まで退役。
1906年からトルコ国境の委員。1908年~1917年、国王第一副官。1912年~1913年のバルカン戦争時、ドリン師団とドナウ師団を指揮。
第一次世界大戦時、1914年~1916年、第1師団(ステパノヴィッチ大佐)と第2ドリン師団(スミリャニッチ大佐)から成る第3支援軍を指揮。その外、オブレノヴァツ支隊とリュボフ支隊が彼の指揮下に入った。1914年8月16日、シャバツ・ペチカの線でオーストリア・ハンガリー軍と交戦したが、退却を余儀なくされた。その後、セルビア軍の総攻撃に参加。1915年10月~12月の戦役時、ドイツ第11軍と対峙しつつ、軍のモンテネグロ、アルバニアへの退却を指揮した。軍と共にコルフ島に撤収し、1916年~1917年、在露セルビア使節団に入った。1917年から国王儀典局長。
1921年9月、退役。