アルバニア
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- アルバニア共和国
- Republika e Shqipërise
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : 国旗への賛歌
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公用語 アルバニア語 首都 ティラナ 最大の都市 ティラナ 大統領 アルフレッド・モイシウ 首相 サリ・ベリシャ 面積
- 総計
- 水面積率世界第139位
28,748km²
4.7%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第127位
3,544,808人
123人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
8,573億レクGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第107位
89億0,800万ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第112位
161億3,000万ドル
4,500ドル独立
- 日付オスマン帝国から
1912年11月28日通貨 レク(ALL) 時間帯 UTC (±2)(DST: (±3)) ccTLD AL 国際電話番号 355
アルバニアは東ヨーロッパのバルカン半島南西部に位置する共和国。正式名称はアルバニア共和国(Republika e Shqipërise)で、首都はティラナ。
西はアドリア海に面し、北にはモンテネグロ、東にはマケドニアとセルビアのコソボ、南にはギリシャがある。
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[編集] 国名
正式名称はアルバニア語でRepublika e Shqipërise(レプブリカ・エ・シュチパリセ)。通称、Shqipëria(シュチパリア)。
公式の英語表記は、Republic of Albania。通称、Albania。
日本語の表記は、アルバニア共和国。通称、アルバニア。
アルバニア語名の「シュチパリア」は、「鷲の国」を意味する。アルバニアには、アルバニア人が鷲の子孫であるという伝説がある。これに対し、他称の「アルバニア」は、ラテン語のalbus(「白い」)が語源とされる。アルバニアの地質が主に石灰岩質で白いことから、「白い土地」という意味であるという。
[編集] 歴史
アルバニアは古代の名をイリュリアという。 紀元前1000年頃から、インド・ヨーロッパ語族に属する言語、イリュリア語を話すイリュリア人がすむようになった。イリュリア人は南方の古代ギリシア文化の影響を受け、またいくつかのギリシャ植民地が建設された。3世紀にはローマ帝国の属州となり、東西ローマの分裂においては東ローマ帝国に帰属した。幾つかの国に支配された後、1478年オスマン帝国の支配下に入った。
第1次バルカン戦争ののち、1912年にオスマン帝国からの独立を宣言する。ドイツ人のヴィルヘルム・ヴィートを国王に迎えアルバニア王国となったものの、第一次世界大戦で国王が国外に逃亡したまま帰国しなかったため、無政府状態に陥った。1920年には国王不在のまま摂政を置く形で政府は再建されたがその後も政情は不安定で、1925年には共和国宣言を行いアフメド・ゾグーが大統領に就任した。その後ゾグーは1928年に王位についてゾグー1世を名乗り、再びアルバニアは王政となった。1939年にイタリアに併合され、1940年のイタリアによるギリシャ侵攻においてはケルチュラをはじめとする南部の各地域が激戦地となった。1944年11月29日、ソ連軍による全土解放が行われ、アルバニア共産党を中心とする社会主義臨時政府が設立された。1946年には王政廃止とアルバニア人民共和国設立を宣言、エンヴェル・ホッジャを首班とする共産主義政権が成立した。1948年、アルバニア共産党はアルバニア労働党と改名した。同年、ユーゴスラビアがコミンフォルムを脱退したことにより、ユーゴスラビアと断交する。
1961年の中ソ対立からソビエト連邦を批判、1968年にワルシャワ条約機構を脱退すると、実質的にソ連を仮想敵国とした極端な軍事政策を取った。国民ほとんどに行き渡る量の銃器を保有する国民皆兵政策は、現在の治安状態に暗い影を落としている。また1976年からは国内全土にコンクリート製のトーチカ(石灰石は国内で自給できる数少ない鉱産資源のひとつである)を大量に建設し、国内の武装体制を強めた。
ソ連と袂を分かつ一方で中華人民共和国に接近するものの、近隣諸国とは、ほぼ鎖国状態のままであり、経済状況は次第に悪化。また1967年に中国の文化大革命に刺激されて無神国家を宣言、一切の宗教活動を禁止した。1976年に中国で文化大革命が収束し、改革開放路線に転換すると中国を批判した。当時の経済状況から決して多くなかった中国の援助も無くなり、1980年代には、欧州一の最貧国とまで揶揄されるに至った。このため、ホッジャの後継指名を受けたラミズ・アリアが1990年から徐々に開放路線に転化を開始した。この間、それまで外交関係がなかった日本との国交を1981年に樹立している。
1992年の総選挙により、戦後初の非共産政権が誕生、国際社会への復帰を加速させた。しかし、民主化後の1990年代、ネズミ講が流行し、1997年にネズミ講の破綻を契機とする暴動が発生。現在に至るまで尾を引いているといわれている。
[編集] 政治
国家元首は大統領で、任期は5年。 議会は、一院制で任期4年、全140議席。 アルバニア労働党(1991年に社会党に党名変更)による一党独裁の共産主義体制だったが、1990年より東欧民主化の影響を受けて、対外開放や複数政党制の導入などの民主化を始めた。1992年3月の議会選挙で民主党を中心とする民主政権が成立した。 1997年6月の議会選挙の結果を受けて大統領が辞任し、7月に社会党を中心とする政権が成立した。その後1998年9月、1999年10月、2002年1月、7月に首相の交代があったが、社会党政権が続いた。 しかし、2005年9月の総選挙で民主党が躍進し首相が社会党から民主党へと交代した。
[編集] 地方行政区分
アルバニアは12の州(qark)、36の県(rrethe)に分けられる。
[編集] 地理
アルバニアは起伏があって山がちな地形が多い。一番高い山はディバル地区にあるコラビ山で、2,753メートルに達する。海岸付近の低地は典型的な地中海性気候であり、内陸部の高地は大陸性気候である。また、バルカン半島最大の湖であるシュコダル湖に面している。
首都のティラナ以外の主要な都市としてはドゥラス、エルバサン、シュコダル、ジロカスタル、ヴロラ、コルチャなどがある。
[編集] 経済
主要産業は農業。1992年7月にG24アルバニア支援国会合が開催されるなど国際機関などから多くの支援を受けてきたが、1997年にねずみ講問題が発生し、経済に悪影響を与えた。長年欧州最貧国の扱いを受けていたが、近年は高成長を続けている。日本からも援助を受けている。2000年にWTO加盟。
[編集] 鉱業
アルバニアには鉱物資源が存在しないわけでは無いものの[1]、長年の鎖国政策や、近年の社会的混乱によってインフラが乏しいため、生産は低調である。
典型的なのがクケス市など3カ所の鉱山から採掘されている同国第一の鉱物資源クロム鉱である。第二次世界大戦直前の1938年時点ではわずか7000トンだったクロム鉱の採掘量は、1970年代には世界第3位に達し、1987年には108万トンまで伸びた。しかしながら、1991年には50万トンに、2003年には9万トンまで落ち込んでいる。同じ傾向が銅鉱にも見られる。1991年に至る5年間で銅鉱の産出量は1/2に減ってしまった。ニッケルについても同様である。
有機鉱物として、品位の低い亜炭、原油、天然ガスを産出する。塩、石灰岩の生産も見られる。天然アスファルトは生産量こそ少ないものの、アルバニアの特産品として知られている。
[編集] 農業
アルバニアは山がちな地形にも関わらず、国土に占める農地面積が25.5%と高い。伝統的に農業従事者の比率が高く、政府は農業以外の産業確立に苦心してきた。1940年時点における農業人口の比率は85%と非常に高かったが、1989年には55%、2004年時点では21%まで下がった。ただし、農業人口の減少は同国の経済体制の変化にも原因がある。1946年に創設された集団農場は成長を続け、1973年にはすべての農場が集団化(社会主義化)された。しかしながら1991年に集団農業を放棄したことで、生産額が1年間に20%低下し、一時的に大打撃を受けている。その後、農業生産は持ち直し、労働生産性が向上したことで、農業人口は減少している。
主な生産品目は主食のコムギ、生産額は2004年時点で30万トンである。その他の麦、トウモロコシの生産も盛ん。地中海性気候に適したオリーブやブドウも生産している。1995年時点の食料自給率は95%と発表されていたが、2003年時点では輸入に占める最大の品目が食料品(輸入の19.6%)まで上昇している。
[編集] 国民
[編集] 住民
[編集] 言語
アルバニア語が公用語である。外国語としてイタリア語を話せる人が多い。南部のサランダを中心とした地域に住むギリシャ系住民の間では、ギリシャ語を話す人々もいる。
[編集] 宗教
共産主義では宗教を否定しているが、実際には旧ソ連、中国その他の共産主義を理念に掲げる国であっても(一定の制限はあるが)寺院も宗教団体も存在して活動が行われていた。宗教や神が存在しない国というものは存在しなかった。アルバニアは国内での激しい宗教対立を背景に1967年、人類史上初の「無神国家」を宣言した。これは世界で唯一の試みであった。
1990年、信教の自由が認められた。
[編集] 文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日、1月2日 | 元日 | Viti i Ri | |
3月22日 | 新年の日(春分の日) | Nevruz | |
移動祝日 | カトリックの復活祭 | Pashkët Katolike | 日付は復活祭参照。 |
移動祝日 | 東方正教会の復活祭 | Pashkët Ortodokse | 日付は復活祭参照。 |
5月1日 | メーデー | Një Maji | |
10月19日 | マザー・テレサの日 | Dita e Nënë Terezës | |
11月28日 | 独立記念日 | Dita e Pavarësisë | |
11月29日 | 解放記念日 | Dita e Çlirimit | |
12月25日 | クリスマス | Krishtlindje | |
イスラム暦による | 犠牲祭 | Bajrami i Vogël | 移動祭日 |
イスラム暦による | ラマダーン明け大祭 | Bajrami Madh | 移動祭日 |
[編集] 著名人
- スカンデルベク(国民的英雄)
- エンヴェル・ホジャ(政治家)
- ゾグー1世(大統領、アルバニア国王)
- アメリカの俳優ジョン・ベルーシ、ジム・ベルーシ兄弟はアルバニア移民の子孫である。
- イスマイル・カダレ(文学者)
[編集] 本文注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- アルバニア政府公式サイト(アルバニア語、英語)
[編集] その他
- [1]人民のために、人民とともに―闘うアルバニア
- National Tourism Organization Albania's official website for travel & tourism information.
- 日本外務省 アルバニアの情報
- ようこそアルバニア語の世界へ
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
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