ビル・ブラッフォード
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ビル・ブラッフォード(William Scott Bruford、1949年5月17日 - )はイギリス出身のドラマー。イエス、キング・クリムゾンなどに在籍したプログレッシブ・ロック界を代表するドラマーである。 なお本人の言によれば「ビル・ブルッフォード」が本来の発音に近しい表記である。
[編集] 略歴
バンド間の出入りが激しく、参加作は多数に渡る。まず1968年イエス結成メンバーとしてデビュー、『イエス・ファースト・アルバム(Yes)』(1969年)、『時間と言葉(Time And A Word)』(1970年)、『サード・アルバム(The Yes Album)』(1971年)、『こわれもの(Fragile)』(1972年)、『危機(Close To The Edge)』(1972年)でドラマーを務めた。この時期はイエスの黄金時代であり、ポリリズムを駆使した彼独特のプレイスタイルを存分に聴かせている。
『危機』の発表後にイエスを脱退し、キング・クリムゾンに加入。スタジオアルバムでは『太陽と戦慄(Larks' Tongues In Aspic)』(1973年)、『暗黒の世界(Starless And Bible Black)』(1974年)、『レッド(Red)』(1974年)に参加した。こちらではイエスの構築美とは対照的に激しい即興演奏の妙味を聴かせている。
キング・クリムゾン解散後は、ジェネシスのツアーメンバーなどのセッション活動を経て、1978年にU.K.の結成に参加。アルバム1枚でU.K.を脱退し、翌1979年に自身のバンドであるブラッフォードを結成した。1981年に再結成したキング・クリムゾンに参加した後は、主にフュージョン系の分野に活動をシフトし、再び自身のプロジェクトであるアースワークスを結成。当時の最先端楽器だったエレクトリックドラムを自在に操る奏者としても名を馳せた。
1989年には実質的なイエスの再結成バンドであるアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウに参加し、1991年には再々結成したイエスに、さらに1994年には再々結成したキング・クリムゾンにも参加するなど、古巣との縁は切れず、来歴はめまぐるしい。自身のプロジェクトでもプログレ系ミュージシャンを多数起用しており、彼抜きにプログレは語れないといえるほどの存在感を示している。 近年は自身が中心となるコンテンポラリーなジャズバンド「Bill Bruford's Earthworks」(1980年代に活動した同名のバンドとはメンバー構成が異なる)のリーダーとしても精力的に活動している。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: イギリスのドラマー | プログレッシブ・ロック | 1949年生