ブハラ・ハン国
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ブハラ・ハン国は、16世紀初頭から20世紀初頭まで、ゼラフシャン川流域、ヌル・アタ山地、アムダリア川流域に栄えた、モンゴル帝国ジョチ・ウルスの王統の流れを汲む、テュルク系イスラム王朝。現在のウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンの領土の一部に跨った。
16世紀、サマルカンドからブハラに首都が移転してから、ブハラ・ハン国と呼ばれるようになった。27の領主から成る連合体に近い政体だった。
アブドゥッラー2世・ハン(1557年 - 1598年)の治世下において最盛期を迎え、バルフ及びフェルガナ(1573年)、タシケント(1576年)、ホラーサーンのヘラートおよびマシュハド(1582年 - 1583年)、ホラズム(1593年 - 1594年)を征服した。この時、ロシアとの接触も起こった。
アブドゥッラー・ハンの死と彼の息子の暗殺後、シャイバーン朝(シャイバーニー朝)は、アシュタルハーン朝(アストラハン朝)(1599年 - 1753年)に代わった。サファヴィー朝、カザフ人、ヒヴァ・ハン国と戦争を続けた。
1753年、非チンギス・ハーン裔のマンギト朝に代わり、君主がハンに代えてアミール(このアミールは一般的なアミールではなく、アミール・アル=ムウミニーン)を称してアミール国となった(そのため、これ以降についてはブハラ・アミール国と書かれることもある)。1868年、ロシアの権力を認め、軍の保有権と外交権を手放した。
1920年10月、労働者の蜂起が起こり、赤軍が首都を攻撃した。蜂起後、国王は逃亡し、革命委員会が権力を掌握し、独立国家と承認された。1924年、民族派共産党員の大部分が更迭され、ブハラ人民ソビエト共和国(後にブハラ人民社会主義共和国)となった。
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[編集] 歴代ハン(アミール)
[編集] シャイバーン朝(シャイバーニー朝)
チンギス・ハーンの長男、ジョチの5男(又は11男)シャイバーン(中世モンゴル語発音ではシバン)の子孫が建国。1561年に首都をブハラに移転し、以来、ブハラ・ハン国と呼ばれるようになった。
- ムハンマド・シャイバーン・ハーン(1500年 - 1510年) - ブハラとサマルカンドを奪取。
- ウバイドゥッラー・ハーン(1512年 - 1539年(1540年?)) - ムハンマド・シャイバーンの甥。
- アブドゥッラー・ハーン1世(1539年(1540年?)) - ウバイドゥッラーの息子。
- アブドゥルアズィーズ・ハーン(1540年 - 1550年) - ウバイドゥッラーの息子。
- ピール・ムハンマド・ハーン(1550年 - 1551年) - 即位初年に打倒されバルフに逃亡。その後、サマルカンドの統治者。
- アブドゥッラー・ハーン2世(1557年 - 1598年) - ブハラ・ハン国の最盛期を築く。
- アブドゥルムゥミン・ハーン(1598年) - アブダッラーの息子。
- ピール・ムハンマド・ハーン2世(1598年 - 1599年(1601年?)) - バキ・ムハマッド・ハーンにより殺害。
[編集] アシュタルハーン朝(アストラハン朝,ジャーン朝)
- ディーン・ムハンマド - アストラハン・ハン国出身。ジョチの末裔。ジュチ・ウルスのハンのクチュク・マハンマドの子マングシュラクの子ヤール・ムハンマドの子ジャーン(ジャニベク)の子.1601年にブハラを奪取。
- バキ・ムハンマド・ハーン(1599年-1605年) - ディーン・ムハンマドの弟。
- ワーリー・ムハンマド・ハーン(1605年-1611年) - ディーン・ムハンマドの弟
- イマームクリー・ハーン(1611年-1642年) - バキ・ムハンマドの息子。
- ナーディル・ムハンマド・ハーン(1642年-1645年) - バキ・ムハンマドの息子。自分の息子により打倒。
- アブドゥルアズィーズ・ハーン(1645年-1681年) - ナーディル・ムハンマドの息子。
- スブハンクリ・ハーン(1681年-1702年) - ナーディル・ムハンマドの息子。
- ウバイドゥッラー1世・ハーン(1702年-1711年) - スブハンクリの息子。
- アブルファイズ・ハーン(1711年-1747年) - スブハンクリの息子。1740年からペルシャに服従。
- アブドゥル・ムーミン(1747年-1751年)- アブルファイズの子
- ウバイドゥッラー2世(1751年-1753年)- アブルファイズの子
- アブル・ガーズィー(1753年-1756年中断1758年-1785年?)- イマームクリーの子ラジブ・ムハンマドの子(?)イブラヒム・スルタンの子
[編集] マンギト朝
- ムハマッド・ラヒル・ハーン(1756年 - 1758年) - マンギト部族の長。1747年にブハラを奪取。1753年にアミールを称し、1756年にハーンを僭称した。
- ダニヤル・ビー(1758年 - 1784年) - ムハマッド・ラヒルの叔父。息子により王位を追われる。
- シャフムラド・マースム(1785年 - 1800年) - ダニヤルの息子、アミールを称する。
- ハイダル(1800年 - 1826年) - シャフムラドの息子。兄のフセインとウマルを殺害して即位。
- ナスルッラー(1826年 - 1860年) - ハイダルの息子。
- ミル・ムザファル・アド=ディーン(1860年 - 1885年)
- セイード・アブド・アル=アハド(1885年 - 1910年)
- セイード・ミル・アリー(1910年 - 1920年) - 労農赤軍の部隊により打倒。カブールに逃亡し死去。