ペトレ・ドゥミトレスク
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ペトレ・ドゥミトレスク(Dumitrescu;1882年2月12日 - 1948年(又は1950年))は、ルーマニアの軍人。上級大将。
ドブリドル出身。1930年代、駐パリ駐在武官を務める。1931年、カロル2世の副官。1931年~1932年、駐ブリュッセル駐在武官。1937年、師団長。1940年11月、G.レヴェンチ将軍に代わり、第1軍司令官となる。1941年3月、第3軍司令官。
1941年6月、第3軍(第4軍団、山岳軍団、騎兵軍団)を率い、独ソ戦に従軍。イオン・アントネスク体制の崩壊(1944年8月29日)までルーマニア軍の主力である第3軍を指揮し、ドイツ南方軍集団の大部分の作戦に参加した。スターリングラード攻防戦に参加したが、1942年11月19日に始まったソ連軍の天王星作戦で攻勢の矢面に立たされ、攻勢5日目に撃破された。第3軍は事実上壊滅し、後に再編成された(参謀長にはドイツ人のヴェンク将軍が任命され、事実上ドイツ軍の指揮下に置かれた)。1944年、第3軍はA軍集団に編入され、同年、「ドゥミトレスク」軍集団が創設された。1941年8月12日に一級鉄十字章、1941年7月28日に二級鉄十字章、1941年9月1日に騎士鉄十字章、1944年4月4日に柏葉付騎士鉄十字章を受賞。
1944年8月、予備役に編入。
戦後逮捕され、1946年、戦争犯罪で裁判にかけられた。獄死。