ボルト判決
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ボルト判決 (Boldt Decision) は、「ワシントン州におけるサケの年間漁獲量の半分は、1850年代に合衆国連邦政府と条約を結んだアメリカ先住民諸部族にその権利がある」とした、1974年の裁判判決のことである。
合衆国地方裁判所ジョージ・ボルト判事は、「その条約における『共有で (in common with) 』という言葉は『先住民族が年間漁獲量の半分を得る権利を有する』という意味である」との判断を下した。
ボルト判事は「(白人の入植者のために先住民族は保留地に移動するという)条約は、サケ漁獲量の半分は先住民族に永遠に権利があるということを改めて主張するものだった」と判断した。
例えば、1854年のメディスン・クリーク条約には、「すべての一般漁場における魚を取る権利は、その土地の住民といわゆるインディアンに (to said Indians in common with all citizens of the Territory) 保証される」という一文が記載されている。準州の長官であったアイザック・スティーヴンスが交渉に携わったほとんどの条約には、これと同じか、よく似た言い回しが用いられている。
このことについて、ボルト判事は次のように述べている。「辞書の定義によれば、そして先住民族との条約や今回の判決において意図され用いられているように、『共有で(in common with) 』が意味するところは魚を獲る機会を均等に共有するということであり……、したがって条約に定められていない漁師たちは漁獲可能量の50パーセントの魚を獲る機会を有しており……、条約で権利を保障されている漁師たちも同様に50パーセントの魚を獲る機会を有している。」
この判決が下されたのは、アメリカ先住民の活動家たち、とりわけボブ・サティアカムによる抗議と不法漁業が最高潮に達した年だった。この裁定はすぐさま、非先住民の漁師たちを憤慨させ、激怒させたが、裁定そのものは30年以上にわたって維持された。