ポール・フレール
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ポール・フレール (Paul Frère, 1917年1月30日 - ) はフランス、ル・アーヴル生まれのベルギー人の自動車ジャーナリストで、1952年 - 1956年にはフォーミュラ1 (F1) で活躍していた(56年のベルギーGPでは2位になっている)。また、1960年にはフェラーリ250テスタロッサでル・マン24時間レースに優勝している。欧州を拠点に活動しているが、日本でも頻繁に活動している。雑誌「カーグラフィック」初代編集長、小林彰太郎とは1960年代以来親交が深く、日本では同誌のコラム「FROM EUROPE」や各種テスト記事等でもおなじみ。
[編集] 著書
「ハイスピード・ドライビング」
「新ハイスピード・ドライビング」
「いつもクルマがいた—ポール・フレール自叙伝」
(以上、二玄社刊)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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