マッシャーブルム
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マッシャーブルム | |
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標高 | 7,821 m |
位置 | 北緯35度38分東経76度18分 |
所在地 | パキスタン |
山系 | カラコルム山脈 |
種類 | -- |
初登頂 | 1960年 |
マッシャーブルム(Masherbrum)はパキスタンの山。通称「K1」。カラコルム山脈のマッシャーブルム山群に属し、標高は7821mと世界22位、パキスタン国内では11位の高さである。険峻な山であるが同じカラコルム山脈にはガッシャーブルムI峰やK2、ガッシャーブルムII峰、ブロード・ピークといった8000メートル峰が連なるため、これらと比較して見劣りするきらいがある。
名称の由来は明らかではない。二つある山頂を前装式の古い銃に見立ててmashadar(前装銃)とbrum(山)の合成とする説のほか、masha(貴婦人)とbrumの合成とする説などがあるが確たることは不明である。
目次 |
[編集] 位置
カラコルム山脈中心部を流れ、同山脈の8000m級の峰々への登頂ルートやトレッキングコースとして広く用いられるバルトロ氷河の南部に位置する。南にはフーシェ谷があり、同じくマッシャーブルム登頂のルートにもされる。
[編集] 歴史
マッシャーブルムの存在をヨーロッパ人が初めて認識したのは1856年の事である。イギリス陸軍工兵隊のモンゴメリー中尉がカラコルム山脈を測量した際に高峰に気づき、カラコルムの1号峰としてK1と名付けた。しかし現地住民にはマッシャーブルムとして知られており、現代でもこの名が使われている。
1911年になるとワークマン夫妻によって踏査され、さらに1938年には南からのルートで登頂が試みられた。しかしこの際は山頂を目前にして失敗している。その後1955年と1957年の登頂失敗を経て、1960年にクリンチを隊長とするアメリカ・パキスタン合同隊のベルとアンソールドにより、過去何度も登山者を退けた南東壁を通るルートでの登頂が達成された。現在では北西壁ルートと北西稜・北壁ルートによる登頂を含む3回の登頂成功が報告されている。
[編集] 参考文献
- H. Adams Carter, "Balti Place Names in the Karakoram", American Alpine Journal 49 (1975), p. 53.
- Jill Neate, High Asia: An Illustrated History of the 7000 Metre Peaks, ISBN 0-89886-238-8
- Himalayan Index
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