マリア (マルタの妹)
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マリアは、新約聖書に登場する女性。イスラエル、エルサレムの近郊、ベタニアに弟ラザロ、姉マルタと共に暮らし、イエス・キリストと親しかった。
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[編集] マルタとマリア
イエスが彼女らの家を訪れたとき、迎えた姉マルタと妹マリアの態度の違い(ルカによる福音書10:38-42)は、伝統的に「観想的生活」と「活動的生活」を表すものであると考えられてきた。教会、とくに修道の伝統のなかでは観想的生活を重視する論述がなされるが、エックハルトは、その説教のなかで、活動的生活を通して神に奉仕するマリアの態度をキリストはよりよいものとして嘉したとする独自の解釈を提出している。また東方教会においては、「観想的生活」と「活動的生活」はそれ自体において優劣をもたないが、マルタはマリアに対する不平を述べた点で誤りをおかしたとする理解もみられる。
[編集] 香油を注ぐ
またあるとき、マリアはイエスの足に香油を注ぎ、イエスの足を自らの髪で拭った (ヨハネ12:1-8)。この話は類似のエピソード(マタイによる福音書26:6-13,マルコによる福音書14:3-9,ルカ7:36-50)の合成によるものかもしれない。この行為はイエスがキリスト(メシア=油を注がれし者)として祝福されること、あるいは近く来たるべき喪葬を暗示する。実際のイエスの喪葬にはマグダラのマリアが香油を用意した(マルコ16:1, ルカ24:1)ことから、ベタニアのマリアとマグダラのマリアはしばしば混同もしくは同一視される。
[編集] マグダラのマリアとの混同
591年グレゴリウス1世は、ベタニアのマリアとマグダラのマリア、またルカによる福音書に登場する「罪の女」(7:36-50)を同一人物とした。この理解は西方教会でのみ支持され、東方教会では受け入れられずに終わった。 カトリック教会も、1969年の「ミサの朗読配分」の改定以降はこれらを別人としているようである(罪の女の項も参照のこと)。