ムワタリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムワタリ(Muwatalli、在位:紀元前1315年頃 - 紀元前1282年頃)は、ヒッタイトの王。彼の前に同名の王がいたという説もありムワタリ2世と表記される場合もある。エジプト第19王朝の王ラムセス2世との間で史上名高いカデシュの戦いを戦った。
[編集] 来歴
ムルシリ2世の息子として生まれ、父の跡を継いでヒッタイト王となった。祖父であり4代前の王スッピルリウマ1世の時代から続くシリアへの拡大政策を彼も継承したが、エジプトではシリア政策に消極的だったエジプト第18王朝が倒れエジプト第19王朝が成立していた。エジプト王セティ1世はヒッタイトの宗主権下にあったアムル王国とカデシュ王国に軍を進め両王国をエジプトの影響下に置いた。ムワタリは反撃に出てアムルを再びヒッタイトの下に置いたが、以後ヒッタイトとエジプトは恒常的な戦争状態に突入した。
セティ1世の死後エジプト王となったラムセス2世は再度アムル王国の獲得を目指し活発な軍事活動を行い、アムル王国を制圧した。そして紀元前1286年にムワタリとラムセス2世はオロンテス川河畔のカデシュでそれぞれ自ら軍を率いて激突した(戦闘の経過はカデシュの戦いの記事を参照)。
この戦いでは双方が自国の勝利として記録しているが、実際には引き分けに近かったとされる。ただしヒッタイトはアムル王国とカデシュ王国に対する影響力の保持に成功した。その後ムワタリはシリア地方での動乱に即応する体制を整えるために、首都をシリア地方のタルフンタッシャに移した。
ムワタリが死んだ時、ムワタリには王妃との間に息子がおらず、古いヒッタイトの継承法に基づいて庶子のムルシリ3世(フルリ語:ウルヒ・テシュプ)が王位を継いだ。