ユーグ3世 (ブルゴーニュ公)
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ユーグ3世(フランス語:Hugues III, 1142年 - 1192年8月25日)は、ブルゴーニュ公(在位:1162年 - 1192年)。ウード2世とその妻であったシャンパーニュ伯ティボー2世の娘マリーの息子。 妻ははじめロートリンゲン公マティウス1世の娘アリックス、次にアルボン女伯ベアトリス。
ユーグ3世の治世に、ブルゴーニュ公国の平和が破られた。彼は好戦的な人物で、フランス王ルイ7世(若年王)と国境を巡って争った。フィリップ2世(尊厳王)がルイ7世の後を嗣いだとき、その混乱に乗じてフランス王の部下に対して自らに臣従するよう強いた。これに対してフィリップ2世は怒り、公国に侵入してシャティヨンを包囲した。シャティヨンは陥落し、守っていたユーグ3世の嫡子ウードも捕らえられた。ユーグ3世は高い身代金を払い、フランス王国への不可侵を誓って講和を結んだ。
その後、ユーグ3世はフィリップ2世に随って第3回十字軍に参加した。彼はリチャード1世(獅子心王)の信頼を得、ともにサラーフッディーン(サラディン)と戦った。フィリップ2世がフランスへ帰還した後もユーグ3世はフランス兵の指揮官として残り、アルスフの戦い(1191年9月7日)やアッコの征服で功績を挙げた。
またユーグ3世は首都をディジョンへ遷して商業を発展させようと努力するなど、内政にも力を注いだ。
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