ヨンケーレ
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ヨンケーレ(Jonckheere)は、ベルギーの西フランダース州のルーセラーレに工場を置く、バス車体メーカー。英語読みで「ジョンキール」と呼ばれることもある。
日産ディーゼルとの縁が深く、1993年から2000年にかけて、同社の2階建てバスの車体を製造。また日産ディーゼル・フィリピンにも協力。
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[編集] 沿革
ヨンケーレは1881年に、創業者のHenri Jonckheereにより、馬車やコーチ(4頭立ての4輪大型馬車)の製造が始まる。同社は最も古いヨーロッパのコーチビルダーの一つである。現在でも、ヨンケーレ製のバスのガラスの隅には馬車のマークが刻まれている。 1902年より自動車の普及で、車のための車体が作られた。まず最初に車体は、ミネルバとロールスロイスと、FNのシャシーへ造られた。
1922年より同社の後継者のJoseph Jonckheereはトラックとバスの製造を中心とした。1930年には乗用車の製造は中止となった。一方トラックとバスはベルギーの市場で優位に立った。輸送の必要が増やした戦争の後、ヨンケーレはこれにより発展し、製品範囲はさらに多様化された。いくつかの部門は別々の子会社のJonckheere Subcontractingとして独立した。1998年より1994年から加わっているオランダのコーチビルダーグループ「VDLグループ」に本格的に参加した。
2003年には社名がVDL Jonckheereと変更された。
[編集] ヨンケーレ・モナコ
わずかの生産で終わったスペースドリームの製造中止から数年後の1993年、日産ディーゼルは2階建てバスの需要が再び見込めるとして、再度市場に参入することになり、今回はベルギーのヨンケーレ社と組み、2階建てバスを発売した。
日産ディーゼル・スペースウイングの3軸車と共通のエンジンや足回りをベルギーに輸出し、ヨンケーレ社の工場で同社の2階建てバスボディ、モナコに架装し再び日本に輸入するという形を取った。
西日本JRバスが大量購入し、夜行高速バス「ドリーム号」などで使われた。全座席とも居住性が同一(足元の広さ、フルリクライニング可能など)ということがセールスポイントで、室内灯は全て白熱灯(蛍光灯使用の設定自体がなかった)、窓回りにも木材が使用されるなど、国産車とは異なる雰囲気が特徴だった。一方、構造の関係から新宿駅新南口バスターミナルに入線できない制約もあった。
日産ディーゼルの3軸シャーシの観光バスが無くなったことから、2000年で製造中止となった。
[編集] 型式
当初はRG620VBN型でエンジンはRD系と共通のV10のRF10型だったが、1995年以降は平成6年排ガス規制に適合したRA系と共通のV8のRH8型エンジンを搭載したRG550VBN型となった。
また逆輸入車のため、車検証に記載される正式な型式は不明とされており、これらの型式は便宜上付けられている物である。そのため先頭には排ガス規制記号が付いていない。
[編集] エピソード
ベルギーに限らず、欧州では「2階建てバスは定員を多くするための車両」という認識がある。このため、西日本JRバスが1993年に発注した際には、「何故2階建てバスをわざわざ独立3列シートにして定員を減らさないといけないのか」となかなか理解してもらえず、日本のバス事情をヨンケーレ側に説明するのに苦労したという。独立3列シートの部品自体がなかったため、西鉄の夜行高速バスに採用されていた杉本工業の独立3列シートを日本から送って取り付けた。なお、2台導入したJRバス関東は天龍工業の独立3列シートを、横浜市交通局は通常の4列シートだったので、ドイツ・フォーゲル社(Vogelsitze GmbH)のシートを選択している。
なお、ヨンケーレにとっては、日本進出は大変エポックメイキングな出来事だったようで、1993年にベルギーのコルトライクで開催されたバスショーでは、西日本JRバス仕様の車両(旧塗色)が展示された。バスラマ・インターナショナルの記事によれば、海外のバスショーで日本向け車両が日本のバス事業者のカラーリングで展示される事は、非常に珍しい。
[編集] 導入事業者
- 西日本ジェイアールバス…製造終了まで継続して導入していた。
- ジェイアールバス関東…2台導入。既に全廃。
- 横浜市交通局…3台導入。路線バス用として導入されたが、現在は定期観光バスに使用。
- 有田交通…貸切車としての導入はこの1台のみ。
[編集] ユーロツアー
日産ディーゼル・フィリピンを参照。
[編集] 関連項目
- ボーバ…VDLグループ。
[編集] 外部リンク
- ヨンケーレ 公式ページ