ラットランド伯エドムンド
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ラットランド伯エドムンド(エドマンド)・プランタジネット(Edmund Plantagenet, Earl of Rutland, 1443年5月17日 - 1460年12月31日)は、イングランドの王族であり、ヨーク公リチャードとセシリー・ネヴィルの(早世しなかった中では)2番目の息子である。
エドムンドはルーアンで生まれた。後の国王エドワード4世の弟であり、ブルゴーニュ侯爵夫人マーガレットやクラレンス公ジョージや後の国王リチャード3世の兄であった。
エドムンドはラットランド伯を名乗った。彼は薔薇戦争中のウェイクフィールドの戦い(1460年12月30日)に敗れ、敵であるランカスター派のクリフォード卿の命令(一説にはクリフォード卿自身の手にかかって)によって17歳の若さで処刑された。エドムンドの首は、父リチャード、母方の伯父ソールズベリー伯と共に、ヨークの街の城門にさらされた。
シェイクスピアの戯曲「ヘンリー六世 第三部」の中では、ラットランド伯は「命乞いの後にクリフォード卿に惨殺される少年」という脚色された形で描かれている。