ウィリアム・シェイクスピア
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ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、沙翁(沙吉比亜からの異称)、洗礼日1564年4月26日 - 1616年4月23日)は、イギリス(イングランド)の劇作家、詩人。ストラットフォード・アポン・エイヴォンの生れ。エリザベス朝の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家とも言われている。その卓越した人間観察眼と内面の心理描写は、後の哲学や、19~20世紀の心理学・精神分析学を先取りした物ともなっている。
1585年前後にロンドンに出たといわれ、1592年には新進の劇作家として活躍。四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など、傑作を残した。物語詩『ヴィーナスとアドーニス』『ソネット集』なども重要な作品。
2002年BBCが行った「偉大な英国人」投票で第5位となった。
目次 |
[編集] 生涯
シェイクスピアの生涯についてはほとんど記録が残っておらず、同時代の人物の残した資料などから推測するしかない。1564年にイングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンに生れた。誕生日は4月23日とされているが、これは命日と同じである。しかし実際には4月26日に洗礼を受けたと伝えられるのみで、誕生日は後の創作であると考えられている。父親のジョンは商人で、町長にも選ばれたこともあり、非常に裕福な家庭環境であった。グレマー・スクールで学んだが、家庭が没落してきたため中退したという説もあり、この後結婚までまったく記録が残っていないため不明。
1582年、18歳になるまでの記録は一切残っていない。この年、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。このときすでに長女スザンナを身籠っていて、1585年には長男ハムネット(シェイクスピアの友人、ハムネット・セドラー夫妻が名付けたらしい)と、次女ジュディスの双子が生れた。この前後にロンドンに出たようで、この理由には鹿泥棒をして故郷を追われたなどいくつかの伝説が残っているが、定かではない。エリザベス朝演劇の興隆につれて劇場や劇団が次々と設立されてゆく中で、俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになり、1592年にシェイクスピア作だと思われる『ヘンリー六世 第1部』の上演記録が残っているほか、同じく1592年にはロバート・グリーンの著書『三文の知恵』("Greene's Groatsworth of Wit")において、新進の劇作家シェイクスピアへの諷刺と思われる記述がある。これが劇作家としてのシェイクスピアに関する最初の記録であり、それまでの行状が一切不明となっている約7年間は「失われた年月」(The Lost Years)と呼ばれる。
『ヘンリー六世』三部作(1590-92年)を皮切りに、『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』などを発表し、当代随一の劇作家としての地歩を固める。これらの初期作品は、生硬な史劇と軽快な喜劇に分類される。
ペストの流行により劇場が一時閉鎖された時期には詩作にも手を染め、『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)や『ルークリース陵辱』(1594年)などを刊行し、詩人としての天分も開花させた。1609年に刊行された『ソネット集』もこの時期に執筆されたと推定されている。演劇活動が再開された1594年には劇団「宮内大臣一座」(のちに「国王一座」と改称)の中心人物となっていたと考えられ、同劇団の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなった。
1595年の悲劇『ロミオとジュリエット』以後、『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』といった喜劇を発表。これら中期の作品は円熟味を増し、『ヘンリー四世 (シェイクスピア)|』二部作などの史劇には登場人物フォルスタッフを中心とした滑稽味が加わり、逆に喜劇作品においては諷刺や諧謔の色付けがなされるなど、作風は複眼的な独特のものとなっていく。
1599年に『ジュリアス・シーザー』を発表したが、このころから次第に軽やかさが影をひそめていったのが後期作品の特色である。1600年代初頭の四大悲劇といわれる『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』では、人間の実存的な葛藤を力強く描き出した。また、同じころに書いた『終わりよければ全てよし』『尺には尺を』などの作品は、喜劇作品でありながらも人間と社会との矛盾や人間心理の不可解さといった要素が加わり、悲劇にも劣らぬ重さや暗さをもつため、19世紀以降「問題劇」と呼ばれている。
『アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』などののち、1610年前後から書くようになった晩期の作品は「ロマンス劇」と呼ばれる。『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』の4作品がこれにあたり、登場人物たちの長い離別と再開といったプロットの他に、超現実的な劇作法が特徴である。長らく荒唐無稽な作品として軽視されていたが、20世紀以降再評価されるようになった。
これらロマンス劇の執筆を最後にロンドンを去り、1612年ストラトフォードに隠退。1616年4月23日に没し、ホーリー・トリニティ教会に葬られた。死因は不明。没後7年を経た1623年、劇団の同僚であったジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルによってシェイクスピアの戯曲36編が集められ、最初の全集ファースト・フォリオが刊行された。
[編集] 作品一覧
執筆年は、ドーバー・ウィルソンの推定による。
[編集] 戯曲
- 詳細はシェイクスピアの戯曲を参照
[編集] 史劇
- ヘンリー六世 第1部 (Henry VI, Part 1、1590-92年)
- ヘンリー六世 第2部 (Henry VI, Part 2、1590-92年)
- ヘンリー六世 第3部 (Henry VI, Part 3、1590-92年)
- リチャード三世(Richard III、1592-93年)
- ジョン王(King John、1594年)
- リチャード二世(Richard II、1595-96年)
- ヘンリー四世 第1部 (Henry IV, Part 1、1597年)
- ヘンリー四世 第2部 (Henry IV, Part 2、1597年)
- ヘンリー五世(Henry V、1598-99年)
- ヘンリー八世(Henry VIII、1602年)
- なお、史劇作品群は「二つの四部作」という形式でグループ分けされるのが慣習となっており、第1・四部作は『ヘンリー六世』三部作と『リチャード三世』から、第2・四部作は『リチャード二世』、『ヘンリー四世』二部作、『ヘンリー五世』から構成される。これら8作を総合するとプランタジネット朝分裂から薔薇戦争終結までの二世紀に及ぶ歴史絵巻となる。
[編集] 悲劇
- タイタス・アンドロニカス(Titus Andronicus、1593年)
- ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、1595年)
- ジュリアス・シーザー(Julius Caesar、1599年)
- ハムレット(Hamlet、1600-01年)
- トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida、1601-02年)
- マクベス(Macbeth、1601-06年)
- オセロー(Othello、1602年)
- リア王(King Lear、1604-06年)
- アントニーとクレオパトラ(Antony and Cleopatra、1606-07年)
- コリオレイナス(Coriolanus、1607-08年)
- アテネのタイモン(Timon of Athens、1607-08年)
[編集] 喜劇
- 間違いの喜劇(Comedy of Errors、1592-93年)
- じゃじゃ馬ならし(Taming of the Shrew、1592-94年)
- ヴェローナの二紳士(The Two Gentlemen of Verona、1594-95年)
- 恋の骨折り損( Love's Labour's Lost、1594-95年)
- 夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream 、1592-98年)
- ヴェニスの商人(The Merchant of Venice 、1596-97年)
- 空騒ぎ(Much Ado About Nothing、1598-99年)
- お気に召すまま(As You Like It、1593-1600年)
- ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor、1600-01年)
- 十二夜(Twelfth Night, or What You Will、1602-06年)
- 終わりよければ全てよし(All's Well That Ends Well、1602-03年)
- 尺には尺を(Measure for Measure、1604-06年)
- ペリクリーズ(Pericles, Prince of Tyre、1608-09年)
- シンベリン(Cymbeline、1609-10年)
- 冬物語(The Winter's Tale、1610-11年)
- テンペスト(The Tempest、1611-12年)
- 二人のいとこの貴公子(The Two Noble Kinsmen、1613-14年)
[編集] 詩作品
- ソネット集(The Sonnets)
- ヴィーナスとアドーニス(Venus and Adonis)
- ルークリース凌辱(The Rape of Lucrece)
- 情熱の巡礼者(The Passionate Pilgrim)
- 不死鳥と雉鳩(The Phoenix and the Turtle)
- 恋人の嘆き(A Lover's Complaint)
[編集] 外典と散逸した戯曲
- 詳細はシェイクスピア外典を参照
- エドワード三世(Edward III、1596年)
- カルデーニオ(Cardenio)
- 恋の骨折り甲斐(Love's Labour's Won)
- ほか
[編集] 評価
英語で書かれた文学の中では最も美しいもののひとつとして、とりわけ英語圏では今日でも高い尊敬を集めている。シェイクスピア戯曲は、今もなお世界各地で数え切れないほど上演され続けている。また、世界各国の様々な映画監督によって度々映画化されている。
「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」「ブルータス、お前もか」("Et tu, Brute!" とラテン語で書かれた)など名台詞として人口に広く膾炙しているものもある。
[編集] シェイクスピア別人説
- 詳細はシェイクスピア別人説を参照
シェイクスピア自身に関する資料が少なく、手紙や日記、自筆原稿なども残っていない。また、法律や古典などの知識がなければ書けない作品であるが、学歴からみて不自然であることから、別人が使った筆名ではないかと主張する人や、「シェイクスピア」というのは一座の劇作家たちが使い回していた筆名ではないかと主張する者もいる。真の作者として推定された人物には哲学者フランシス・ベーコンや第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア、同年生れの劇作家クリストファー・マーロウ、シェイクスピアの遠縁にあたる外交官ヘンリー・ネヴィルなどがいる。
もっとも英文学者でまともに別人説を取上げる人はほとんどいないようである。全戯曲を翻訳したシェイクスピア研究家の小田島雄志は、資料が残っていないのは他の人物も同様である、シェイクスピアは大学に行かずエリート意識がなかったから生き生きした作品が書けたのだ、と一蹴している。
[編集] 関連作品(映画)
- 蜘蛛巣城(監督:黒澤明、『マクベス』の翻案)
- 乱(監督:黒澤明、『リア王』の翻案)
- ゴダールのリア王(1987年、監督:ジャン=リュック・ゴダール)
- ヘンリィ五世(1945年、監督:ローレンス・オリヴィエ)
- ヘンリー五世(1989年、監督:ケネス・ブラナー)
- から騒ぎ(1993年、監督:ケネス・ブラナー)
- オセロ(1995年、監督:オリバー・パーカー)
- リチャード三世(1995年、監督:イアン・マッケラン)
- リチャードを探して(1996年、監督:アル・パチーノ)
- ハムレット(1997年、監督:ケネス・ブラナー)
- 恋におちたシェイクスピア(1998年、監督:ジョン・マッデン)
- 恋の骨折り損(2000年、監督:ケネス・ブラナー)
- O(オー)(2001年、監督:ティム・ブレイク・ネルソン、『オセロ』の翻案)
- ヴェニスの商人(2004年、監督:マイケル・ラドフォード)
[編集] 関連作品(演劇)
- 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』:トム・ストッパード作。『ハムレット』の中の脇役二人を主人公に据え、運命に翻弄される様を描いた悲喜劇。
- 『シーザーとクレオパトラ』:バーナード・ショー作。シーザーを超人、クレオパトラを彼の弟子として描いている。
- 『ソネットの黒婦人』:バーナード・ショー作。『ソネット集』の黒婦人のモデルとされる女性と、シェイクスピア、エリザベス女王を主たる登場人物として書かれた喜劇。
- 『わが心高原に』:ウィリアム・サローヤン作。老役者が『リア王』を効果的に演じている。
- 『ドレッサー』:ロナルド・ハーウッド作。『リア王』を演じる劇団座長とその付き人の葛藤を描いている。
- ミュージカル『ウエスト・サイド物語』:『ロミオとジュリエット』の現代版。作詞スティーブン・ソンドハイム、作曲レナード・バーンスタイン。
- ミュージカル『キス・ミー・ケイト』:『じゃじゃ馬ならし』を演じるミュージカル俳優たちの物語。劇中歌に「学ぼうよシェイクスピア」がある。作詞・作曲コール・ポーター。
[編集] 関連項目
- ファースト・フォリオ
- イギリス・ルネサンス演劇
- 問題劇
- ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー
- シェイクスピア外典
- 坪内逍遥
- 福田恆存
- 蜷川幸雄
[編集] その他
- 日本の千葉県南房総市に、シェイクスピアの生家が忠実に再現されている公園がある(シェイクスピア・カントリー・パーク)
- ロンドン橋の近くに、グローブ座が再建されている。[1]
- 2005年4月21日、イギリス国立肖像画美術館は、多くの本の表紙を飾るシェークスピアの肖像画『フラワー・シェークスピア』の描かれた時期が生存中の作ではなく、その死後約200年後の1814年~1840年頃であると確認したと発表した。1814年頃以降に使用され始めた顔料が含まれていたためで、それは修復に使われたものではないという。美術館では、この年代は作品への関心が再燃した時期で、貴重な歴史的資料であることは変わりはないとしている。
[編集] 外部リンク
ウィリアム・シェイクスピアの作品 | |
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悲劇: | ロミオとジュリエット | マクベス | リア王 | ハムレット | オセロー | タイタス・アンドロニカス | ジュリアス・シーザー | アントニーとクレオパトラ | コリオレイナス | トロイラスとクレシダ | アテネのタイモン |
喜劇: | 夏の夜の夢 | 終わりよければ全てよし | お気に召すまま | シンベリン | 恋の骨折り損 | 尺には尺を | ヴェニスの商人 | ウィンザーの陽気な女房たち | 空騒ぎ | ペリクリーズ | じゃじゃ馬ならし | 間違いの喜劇 | テンペスト | 十二夜 | ヴェローナの二紳士 | 二人のいとこの貴公子 | 冬物語 |
史劇: | ジョン王 | リチャード二世 | ヘンリー四世 第1部 | ヘンリー四世 第2部 | ヘンリー五世 | ヘンリー六世 第1部 | ヘンリー六世 第2部 | ヘンリー六世 第3部 | リチャード三世 | ヘンリー八世 |
詩とソネット: | ソネット集 | ヴィーナスとアドーニス | ルークリース凌辱 | 不死鳥と雉鳩 | 恋人の嘆き | 情熱の巡礼者 | 死んでみようか |
外典と 失われた戯曲: |
エドワード三世 | サー・トマス・モア | カルデーニオ | 恋の骨折り甲斐 | マーリンの誕生 | ロークラインの悲劇 | ロンドンの放蕩者 | ピューリタン | 第二の乙女の悲劇 | リチャード二世 第1部 | サー・ジョン・オールドカースル| トマス・クロムウェル | ヨークシャーの悲劇 | フェア・エム | ミュセドーラス | エドモントンの陽気な悪魔 | フェヴァーシャムのアーデン | エドマンド剛勇王 | ジョン王の乱世 | ジャジャ馬ナラシ |ウィリアム・ピーター氏追悼の哀歌 |
関連項目: | ファースト・フォリオ | シェイクスピア別人説 | 登場人物一覧 | 問題劇 | シェイクスピア映画 | シェイクスピアによる新語 | 推定執筆年代 | 別人説にもとづいた推定執筆年代
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